SHOOTING AT THE MOON

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04.OCT

※新しい日記は黒色で表示しております。
※勝手にリンクしているサイトがあります。文句はこちらへ→

2004.11.30.tue.

待ちに待った月に一度の酒盛り日。
今回は一応その他の友達にも連絡を取って皆で飲もうという趣旨だった。夜の7時に約束をしていたが、5時ぐらいになって二人から行けないという旨の連絡があった。他にも(多分)連絡は回っているはずなので、とりあえず待ち合わせ場所に赴いた。

誰もいなかった。いちいち連絡を取るのも憚られるので適当にボーッと待っていた。適当に連絡を回してくれ、という感じだったのでおそらくは皆他の誰かが連絡を回してくれると思い、誰にも連絡が回らなかったのか、それとも誰も最初から来る気はなかったのか今になっては知る由もない。
携帯に登録されてないから。というより消してしまっていた。

結局はいつも飲んでいる友人と二人だけになった。なんだかとてもお酒を飲む状況にぴったりだ。その前に結局は二人なのだから、とタワレコに行ってCDを買った。
中山康樹の「マイルスを聴け」のver.6も発売されていたので買った。重い。

もちろん貧乏人なので自動的にチェーン店になる。ツボ八。なんと平日は12時に閉まる模様で、店を代え朝まで飲んだ。
(12月1日へ続く)


2004.11.29.mon.


あちゃー。今日もドラクエ。
8000円分の元は取ってやるぞ、とばかりにひたすらLV上げ。いつ寝て、いつ起きたのかも記憶にないぐらいに、黙々とやっていた。
ストーリーはドラクエらしく小学生向けの内容なので、ほとんど無視。

そういえば、HPの更新を忘れているような気がしないでもない。というより、やばいぐらいに書くことがないのでお終い。

2004.11.28.sun.


寝ずゲー。
ひたすらドラクエをやっていた。フィールドが
FFのようになっていて、迷う。ストーリーは進めずにレヴェル上げばかりやっていた。最初のダンジョンに行く前にすでにLVが恐ろしく高くなっていて、読書をしながら、音楽を聴きながら適当にやっていた。
ゲームばかりに集中しているのは時間が勿体ない。こういう
RPGをやる時も、敵にダメージを喰らわされるのは腹が立つもので、ダメージを受けないぐらいにレヴェルを上げなければならないのだ。

ゲームの音量は消して、
BGMは至上の愛。
エルヴィン・ジョーンズのドラミングがギョエーって感じだ。


2004.11.27.sat.


ドラクエ8が届いた。
・・のはいつ頃だったろうか。土曜の昼間は延々と寝ているのでほとんど記憶にない。ペリカン便がやって来た頃も夢の中だった。確か、判子と間違えてライターを持って出た。ペリカン便の配達人に笑われた。
ところでこの人たちは一体いつ休日があるのだろう。
毎日同じ人だ。夜の8時でも朝の9時でも同じ人だ。

というわけで、バイト。
相変わらず、とんでもなくムカツク客が多数いて、その度に頭の中でマグマのメカニック・デストラクティヴ・コマンドゥが流れる。

立ち読みをしていた客が、レジの前までテコテコやって来て、ふてぶてしそうに一言「トイレ」と私に言った。言いたいことはよく分かる。きっとトイレに行きたいのだろう。私は杉下右京(ドラマ「相棒」水谷豊)ばりに「はい?」と言った。
その人はそれでも「トイレ」と言った。
だから、トイレが何だって言うのだ?トイレに行きたいのなら「トイレ借してくれ」とでも言えばいいだろう、単語を言って通じるのは5歳までだ。そうすれば私も優しく天使の微笑を浮かべ「奥の扉を入って左になりまする」と言えるのだ。
と頭の中で思ったけど面倒臭いので、「どうぞ」と言った。
結局そいつは立ち読みを数十分して何も買わずに出て行った。私は、暇だからコンビニにでも立ち読みしに行くか、という発想を持つ人間が嫌いである。なんてツマンナイ奴なんだろう、と思ってしまう。

ところでコンビニに来る外国人の人は全員良い人だ。
皆、どうもありがと、グッナイ!と目を見て言ってくる。その度に頭の中でソニー・ロリンズのセント・トーマスがセットされる。

2004.11.26.fri.


ついにコンビニに売られている卵の方が安くなってしまった。散々報道されているように、白菜等の野菜の価格は大幅な輸入により下がっているのだが、卵の価格が今年の鳥インフルエンザの影響で大幅に上がっているらしい。。
私はこれと言って、毎日スーパーの広告をチェックする主婦のように値段にうるさくないがこればっかりは困っている。卵は主食だから。いや、卵かけご飯が。
更にはチキンラーメンが卵ナシになりそうだ。困った。
昨日なんか「本日の入荷はありません」と書かれ、卵
1パックが250円以上で売られていた。コンビニでも208円だ。
何故かよくわからないが、スーパーでも「ドラゴンクエスト
8予約受付中」という広告が貼られていた。誰がスーパーで買うのだろうか。いや、案外主婦で好きな人がいるのかもしれない。

アレアの
1978(紙ジャケット盤)を買ってしまった。
もちろん、
2枚持っている。2枚持っているCDが「紙ジャケ」というフォーマットのせいで増えているような気がしないでもない。いや、確実にする。
ただ、リマスタリングが凄かった。これは賛否両論あるだろう。やたらと
1曲目のドラムがうるさい。それもバスドラのキックが。さらには、ハイハット・シンバルの一打一打がくっきりしている。びっくりしてしまった。原盤LPの音を聴いたことがないので、よくわからないが。2ちゃんねるの掲示板に同じような事が書かれていたが、私は別にどちらでもいい。原盤聴いたことないし。アレアだし、テンション上がるからいいかなー、と思って楽しんでいる。
あ、ストレンジ・デイズの岩本編集長の日記によると、イ・プー
8枚の紙ジャケ化が進んでいるとのことらしい。8枚は多すぎる。せめて2回に分けておくれ。

とにかく、書く事がない。びっくりするぐらいに。
本当は卵の価格高騰、とかどうでもいいんだけどね。高騰するなら勝手にしておくれ、とまで思っている。
「卵1パック
98円、お一人様につき1パックまで」が懐かしい。おかんに、あんたら(妹を含め)スーパーについて来て、とよく言われたものだ。そんで3パック。卵30個食べきる前に腐ったような記憶がある。
おかんはよく「卵は一日一人
1個まで。コレステロールが・・」云々言っていた。

どうでもいいけど、今猛烈に天丼が食いたい。


2004.11.25.thu.


<(ひたすら憂鬱になった)行動記録 >
昼過ぎまで本を読んでいたが、少ししか眠らなかったせいか眠気が襲ってきた。布団から抜けずに本を読んでいると「もうどうでもええわ」と思ってくる。一体何がどうでもいいのかよく分からないけれど、とにかくどうでも良くなってきた。
というわけで、昼夜逆転とかそういう事は考えないことにして、とりあえずカーテンを閉めて眠った。起きたら夜の7時だった。
起床時間が早朝の4時は悲惨だ、と昨日書いたけれど、夜の7時もなかなか悲惨だなと思った。

財布の中には180円ぐらいしか無く、煙草も無かった。
とりあえずお金もないのでローソン・パス(ローソンのみ使えるカードで、後で収納代行が送られてくる)を使って煙草を買うことにした。というわけで、夜9時過ぎにローソンに行くことに。近くのローソンでは煙草が売ってなかったので、ローソンを探すハメになった。

行ったことのない所を自転車でフラフラしながら彷徨っていたけれど結局ローソンがなく、駅前の方にも行ったがそこのローソンも煙草を置いてなかった。結局バイト先に行くハメになり「何してるんすか?」と言われた。「いやぁ、煙草も金もなくて・・近くのローソンは煙草売ってないんよ」と言うとなんだかひたすら虚しくなってきた。

結局1時間近く自転車に乗っていた。
最終的に家から約10分のところにあるバイト先のローソンに行くことになったのが一番悲惨だった。その時ウォークマンで聞いていたアル・クーパーの赤心の歌も全曲聴き終えた。

家に帰ると、柿が腐っていることに気付いた。次々と送られてくるのだけれど、どうにもこうにも食いきれない。腐った柿の腐臭というのは、それはそれは凄い匂いがする。ひたすら酸っぱい。鼻に突き刺さり、甘酸っぱい吐き気が襲ってきた。

どうでもいいけど、今猛烈にビビンバ丼が食いたい。

2004.11.24.wed.


昨日に引き続き、今日も腹が立つぐらいの晴天だった。
いつも土曜の深夜バイトを終え、日曜の間に昼夜逆転を直すように心がけているのだが、今週は微妙に失敗し、夜中の4時ぐらいに目を覚ますという生活が続いている。日の出前という一日で最も憂鬱な時間に起床するせいか、調子が悪い。靴下を微妙な向きで穿いている心境だ。あの憂鬱な時間は寝てやり過ごすことにしているのだけれど、朝起きていきなり4時というのはなんとも悲惨で、そのまま首を吊って死んでしまいたくなる。
そういう日の太陽に限って、憎ったらしいほど晴れ晴れとしているので「ムカツクヤツだ」と太陽に向かって言いたくなる。
全くもってお天道様はお構いなしに公平である。

こんな時何の楽しみもなければやっていけない。
多分今の私の唯一の楽しみは、友達と酒を飲むこと。来週にはその約束があるので、なんとも来週が待ち遠しい。酒を飲むという行為自体は実に楽しいのだけれど、私の場合ある種逃避行動も含まれているので、ちょっと危ない傾向もある。
しかし、何故か分からないけれど常に冷静でいなければ、という気持ちが働き、我を忘れるというところまでいかないのが、実に不幸である。本当ならば泥酔し、そのままベッドにダイビング・ボディ・プレスを放ちたいのだけれど(出来ることならベッドの柵からファイヤー・バード・スプラッシュをしたい)そこまで行かない。

今日は珈琲が久しぶりに作用してか、なかなか眠れなさそうだ。
この調子でいくと、昼夜逆転は治りそうな勢いだ。
(25日、つまり今日の)真夜中にしゃぶしゃぶをした。勿論、ドラッグでもなければ、ノーパンしゃぶしゃぶでもない。
れっきとしたしゃぶしゃぶである。
昨日のバイト研修もしゃぶしゃぶだったのだけれど、親が白菜やらを送ってきたので、それらとマイタケと豚肉を放り込んで、適当に作って食べた。マイタケの量が異常に多くなってしまい、鍋の中は闇鍋のような混沌とした様相を示していた。
とりあえず、マイルスのビッチェズ・ブリューを聴きながら黙々と食べた。
何だか、野生に戻ったような気がした。
やけにテンションが上がってきたが、いつの間にか2時間程眠っていたらしく、起きたら結局朝の4時だった。朝の4時は私を離さない。

そういえば今日(11月25日)は、1970年、アルバート・アイラーが水死体で発見された日だ。
ということは、三島由紀夫が自殺した日でもある。


2004.11.23.tue.


<とりとめのない雑記>
私が、オレオレ詐欺ならぬ、オレオレ話を展開している間に世間ではいろいろあったようだ。来春からのドラエモンの声優交代とか。
あれ、これだけか。
ふと、のび太が過去へ、おばあちゃんにタイム・マシーンで会いに行った時の事や、ドラエモンが未来に帰る時、のび太がジャイアンに喧嘩を挑みに行った時の事を思い出した。この二つだけは、泣いた。それこそウォンウォンと人知れず泣いた。あれだけは一人でしか見れない。
もうどうせならドラエモンは終了してもいいんじゃねーか、と思うのは私だけでしょうか?ちなみに私は富士子富士夫のAとFの区別がつかないぐらいにあまり興味がない。
その昔、-----AかFか知らないけれど-----パーマンに出てくるバードマンを見てトラウマになった。なんて怖そうな人なんだ、と。
アニメで好きなのは、ルパン3世とCITY HUNTER、北斗の拳。
ルパンや冴羽リョウのようなファンキーな人間になりたい、と思ったものである。で、時々次元や海坊主のようなコワモテ系でもいいかな、と浮気もしたり。女性で言えば、冴子が一番好きだった。


アマゾンのギフト券があったので、ドラゴン・クエスト8を予約した。この時期にドラクエなんぞやっていたら、引き篭もってしまいそうな気がするが、まあ3、4日でクリアできるだろう、という事で買っちゃった。
今更ながらCDを8000円分買うのと、ゲームを8000円買うのとではまるで違う。ゲームに8000円も出すのは、冷蔵庫やテレビを買うのと同じぐらい勇気がいる。今時ゲーム1本定価9000円ってふざけているとしか思えない。

中学生、高校生の頃はゲームばかりやっていた。それこそゲームは暇潰しに持ってコイで、その暇潰しの類が次第と変わってくるに連れ、ゲームをほとんどやらなくなり、最近では月に1回ゲーム機を起動させればいい方になった。最近やるゲームは、ウイニング・イレヴンとプロレス・ゲームぐらいかな。

今日は勤労感謝の日だったらしい。バイト研修があって、コンビニの付近の掃除をやって、皆で飯を食べに行った。
酒がない宴会なんて、宴会じゃない。



2004.11.22.mon.


−昨日の続き−
大学1回生。なんて素晴らしい響きなんだ、って心底思う。
あの頃は若かった、なんて数年前のことをおっさんのように回顧するわけではないが、今よりも充分若い。人間はたった数年で年老いていくこともあるのだ。

で、そのテニス・サークルは前期も持たず、一緒に入った友達と共に辞めてしまうことになった、と書いた。
実はその後もさらに別の(今では全く親交のない)友達とホストのバイトをやったりもした。これは数多い私の汚点の一つである。結局2週間程度でそれも辞めてしまい、学校もほとんど行かないようになった。


他にもいろいろあったけれど、これといって思い出せない。
成績が見事なまでの悲惨さであった事だけが、物事を雄弁と語っていた。その例のテニス・サークルに一緒に入った友達の成績も爽快なまでに悲惨だった。

が、2回以降私は結局その生活をあまり軌道修正せずに、寧ろますます酷くなり続けていくことになるのだが、その友達は何故か知らないが真面目に学校に行くようになり、全単位と1回の頃の単位も併せて獲得し、3年目を終える頃には卒業単位を満たしていた。

これは一体何なのだろう。
1回の成績が見事なまでの分かれ道になったのである。その友達の変わり映えには私も驚いたが、まあこれもタイミングの問題だったんだろうな、と今になって思う。

私は物事のタイミングとやらを極めて忠実に外しまくってきた。どうやったらそんなに上手に外せるのだろうという下手っぴなゲーマーのように外しまくってきた。

何故にこんなくだらない身の上話を書いているのか、という事なのだけれど、つまりはVDGGの「STILL LIFE」を聴くと、そういった事が走馬灯の如く思い出されるわけである。1曲目の「PILGRIMS」のイントロが鳴り響いた瞬間に泣きそうになる。泣きそうになるが、実際は泣けない。感傷的になるほど偉そうなものではない。

私の人生の一部分なんぞ感傷的になるような部分はないが、この「STILL LIFE」はどうやらマジックがあるようだ。
ひどくおセンチな気分になった時はこれを聴く。
さらにどん底に落ちて、そのまま時が止まってしまうかのようだ。
そのどん底の淵でのピーター・ハミルの歌声はとても優しい。




2004.11.21.sun.


今日も一段と冷え込んだ。
ローソンのコンピューターでの天気予報の評価は「少し寒い」から「寒い」へと変わっていた。(この評価は何だかよくわからなくて「寒い」の下は「大変寒い」でさらにその下は「耐えられない」である。もっとマシな言い様はないのだろうか)

こういう時期になるとVDGGの「STILL LIFE」を必ずと言っていい程聴きたくなる。普段は月に20枚も30枚もCDを買うもんだからこれと言って思い出に残るCDやレコードと言ったものはない。それでも必ず思い出深いCDやらは数は少ないがあるにはある。
それがこの「STILL LIFE」である。多分最初に聴いたのも丁度この時期だったと思う。ハットフィールドのロッターズ・クラブと一緒に買った。
どういうわけか知らないけれど、いつもこれをこの時期に聴くと当時の事を思い出してしまう(当時と言っても数年前だが・・・)。
やたらとつまらない時期で、特に何があったというわけでもなく、思い出せる限りの事を言うなら、バイト先の当時の店長に無理やりパチ・スロに連れていかれて2日連続寝ずに深夜のバイトに入って、何をやっているんだろ、と思ったことや、ありきたりに当時好きだった子の事など。

世間一般に言われるようにこういう10代後半から20代前半のこの時期はとても素敵な時期らしい。とてもじゃないが私のそれらの期間は「素敵」なんて言葉が当てはまるような代物ではなく、言葉に表すならば「何もない時期」だ。


大学の四年間というのは、今考えてみると僕の一生の中で唯一の
「何もしなくていい」時期であった。<中略>この「何もしなくていい時期」を
僕はほんとうに「何もせず」に過ごしてしまったのである。


中島らもの「モラトリアムの闇」に書かれている事を読んだ時、アチャーと思った。
勿論素敵な時期を送っている人もいるはずだが、私に関して言えば10代なんてものは、ただやるせなくて切なくて無気力で、人々の言う青春なんて言葉は当然のことながら向こうから勝手にやって来るものだと思っていた。もちろんそんなものは向こうから勝手にやってくるわけがなかった。向こうからは無感動な日々だけが、頼みもしないのに送られてくるダイレクト・メールのようにやってきた。

大学に入る時は決まって「夢の大学生生活」を想像したものである。
夢の大学生活への第一歩はテニス・サークルへの入部であった。
なんて分かりやすいのだろう。
仲の良い友達に連れられて行ったはいいものの、時を置かずして自然消滅的に行かなくなった。
大学1回生の時は、そのテニス・サークルに一緒に入った友達もろとも悲惨な一年を送り、非常に有難くないおまけのように、悲惨な成績もついでに獲得した。その友達も。


書くことがないので月曜に続く。

2004.11.20.sat.


バイトが終わったのが朝の9時過ぎだったので、家に帰るなりすぐ寝る予定だった。結局なかなか寝れずに、11時ぐらいにやっと眠りに付くことが出来た。

無情にも1時間後、親からの電話で起こされた。
どうやらかなり機嫌が悪いらしく「まだ寝とんのか!シャキっとせぇよ!」といきなり怒鳴られた。確かに日頃の私の生活はどちらかと言わないまでも、シャキっとしていない部類に属していると思う。それは認めよう。就職活動の事で私は親に物事を言える立場でもないし、仕送りを貰っている立場でその権利もない、それも認めよう。

ただ、今日は土曜日で就職活動も糞もなく、第一私は深夜バイト明けなのだ、今日の夜も深夜バイトがあるのだ、バイトは平日には一切やっていない、そしてその事を親も知っているはずだ、一体何なんだ、と思わずにはいられなかった。
ただ眠くて反論する気も起こらず、そんなことをしても余計に親の機嫌が悪化する事は火を見るより明らかで何も言わずウンウン言う事が正しいことだ、と思ったわけである。

「何やってたんや!」とさらに怒鳴りたてるので、一言だけ「バイト」と言った。
「ああ、バイトか」と言い、「バイトなんか辞めろ」と怒鳴り、「それじゃぁな!」と言われたので、無言で電話をブチっと切った。

一体、何なんだ?
人の眠りを妨げておいて、何なんだろう。
次第に目が覚めてきて、腹も立ち、結局その後も眠れなかった。

2004.11.19.fri.


暇だったので数年ぶりに、プライマル・スクリームを聴いた。大音量で聴くと苦情がきそうだ。最近の音ってやたらと音量が大きく録音されているから、最初プレイ・ボタンを押した時「ひぃ〜!」とびっくりする。それにしても格好良いですよね。危ない方向にテンション・アップされるという意味ではなかなかこのプライマルに敵うアーティストっていないのだろうな、と思った。でも残念ながら私の愛聴盤にならない理由は、そう言った全編貫かれている「格好良さ」のような気がする。言い方は悪いけれど、オシャレに聞こえてしまうのだ。格好良さの演出みたいな。ボビー・ギレスピーが政治的メッセージを発する度にそれも「ロック的な演出」であると感じてしまうわけだ。あくまでも私は、って事ですけどね。でもジーザス・アンド〜は好きでした。

2004.11.18.thu.


ああ、むかつく!
夕方、再放送されている火曜サスペンス劇場に挿入されていた曲が思い出せない。魚の骨が喉に詰まる思いだ。Rachel'sのような室内楽風の。。。

今日の大阪の最高気温は13度だったらしい。朝から雨模様で一日中真っ暗だった。近頃とんと寒くなったせいか、近所で猫も見かけなくなった。私のマンションの目前の家ではストーブが点けられ、その横で猫が幸せそうに餌を食べていた。もう冬なのか、この時期にストーブなんぞ点けて1月2月になったらどうするのだろう。とは言いながら私も部屋では暖房をつけてたり。

散々報道されているように、今日からローソンでゆうパックの取り扱いが始まった。ローソンの店員としては非常にありがた迷惑。いちいち操作を覚え直さないといけないし、こんなので宅急便の数が増えたらゾーッとする。宅急便ははっきり言って面倒臭いのだ。家に取りに来て貰えよ、馬鹿!

いやぁ、昨日の日記で12月はお金が消えて無くなりそうと書いたけれど、どうやら消えて無くなるどころか、どうやってお金を工面しようか、という中小零細企業の社長の思いである。TOPページにも書いた通り、フラワー・トラヴェリン・バンド3作品とスピード・グル・シンキの2作品が紙ジャケ化!(ユニオンとストレンジ・デイズのサイト・オンリー)血迷った事に、速攻でポイポイとカートに放り込んで「注文」ボタンを押していた。無意識に。というか、何故こんなに高いのでしょう?勿論消費者金融なんぞ使わないけれどね。
この際、文句を言いたい。こういう70年代のひたすらマニアックなバンドの紙ジャケなんてオッサン連中しか買わない、連中は丁度ボーナス時期だから丁度いいや、なんて考えているのが丸分かりだ。私は23歳の学生だ。ナメトンノカ、12月商法!フラワー・トラヴェリン〜、スピード・グル・シンキの名に置いて許すが。

だったら、買うなよって自分でも思うのだが、植木なんちゃらの歌にもあるように、止められない。こうなったら本当に病気である。自覚症状もある末期患者だ。末期になるとどうにもこうにも朽ち果てるのみだ。

こうやって文句をタラタラ言いながらも、この再発は非常に嬉しかったりします。もしこの日記読んでいる人がいるのなら貴方も是非!

*MSNニュースより
民家の郵便受けに100万円投げ込み

2004.11.17.wed.


さて、DIARYを意味もなく数時間かけてリニューアルしました。
「意味もなく」というのが好きなのです。ブログは飽きました。

今日は、久々に大学へ行った。
何事も久々な行いは新鮮であり、新鮮だからこそ毎日は行かないぞ、っていうのが私のポリシー。おかげで見事に駄目人間。フフフ。

元ゼミの先生と会ったので立ち話。近況報告と言うより、駄目駄目っぷりをリポート。私本人は駄目人間である事を良しとしているせいか、余計にタチが悪い。来年3月までに就職先を決めねばならない、というプレッシャーを最近風の如くスルーしているので、本来のインチキボヘミアン気質が炸裂して、「なんとかなります」と言う始末。思えば私という人間は、受験という名のつく全ての事を3日前まで意識しない、という人なんですよね。

「構造改革無くして成長なし」という誰かさんの交通標語レヴェルの合言葉(?)があるが、真剣に「性格の構造改革」とやらに取りかからなければ、このままでは社会に出ることなく埋没しそうだ。(これ、前も書いたような。。)

話は変わって、12月のお金は台風にすっとばされるかのように、消えて無くなりそうだ。ビートルズのキャピタル時代のBOXの評価は非常に悪い(これはあくまで、中身ではなく外装が)みたいだけれど、リマスターされているのなら、ビートルズなんだし"買い"なのだろうな、と。ネイム・バリューオソロシヤ。
ユニオンでは年末恒例の期間限定復刻紙ジャケがありそうだし、マグマの新譜、マーヴィン・ゲイの紙、イーノのアンビエントの紙、DAWNレーベルの紙、ゲームだけれどドラクエ8、メタルギア・ソリッド。嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼。
紙ジャケからは今年一杯で引退します(これが構造改革の第一歩になるはずだ)。

*素敵なブログ発見
牛タンに命を懸けろ(仮題)

2004.11.16.tue.


ラフマニノフDAY。
誰が演奏しているのか不明なピアノ協奏曲の第ニ番(の第二楽章)のMDをリピートし続けた。クラシックという事にさして意味はない。

コレクター気質がある私なのだけれど、何故かCDやレコードの取り扱いは適当だという事に気づいた。これまで一体何百回聴いたかどうか分からないハミルのTHE SILENT CORNER〜の1曲目「MODERN」が音飛び。この曲はノイズ音で終わるせいか、最初は全く気づかなかったが、ずっと同じ時間表示だったので愕然とした。幸い他の曲は無事だったが、かなりの電撃ショックを受けた。FFで表すとサンダガだ(ダメージ3000)。ドラクエで表せばミナデイン(ダメージ300)。非常に残念ながらCDにケアルガやベホマは使えない。CDの裏は傷だらけだった。嗚呼、買い直し決定。

刻一刻と日が経過。いつの間にか、寒さも肌に突き刺さるところまでいかないまでも、かなり寒い。
この時期の深夜の空気はひたすら透明で美味い。が、大阪の空気は至って最悪で、外に出てみようという気はまず間違いなく起こらない。心が洗われるような空気とやらに出会いたいものだ。
こういうHPにとって年末恒例企画の「2004年ベスト10」なるもの、あまり好きではないが折角のこの機会、やってやろうじゃないか、と思ったが見事に今年買った新譜は4枚程度なり。
「MY2004年度ベスト3」なんてやるわけにもいかないので、とりあえずそう言った企画とは無関係に年越し出来そうです。どうせ数十枚買っていても、ほぼ自動的にハミルとマグマの12月に出る新譜になりそうなので。


2004.11.15.mon.


嗚呼。いつも時事問題について書くと決まって後悔をする。何を書いてんだか、とね。
日頃の出来事が空っぽで、一日の終わりの頭の中はそりゃあもう立派な酸素一つ足りとも入れぬ、がらんどう。結局日記のネタなるものは世に頼るしかないこの有り様、さてさて皆さん如何お過ごしでしょうか?浜村じゅんでご・・

そんな事はどうでもよくて、一昨日の日記に皇室がんばれ、とか書いておきながら、天皇家長女、紀宮さん婚約内定とかの話題が盛んに報道されている今日この頃、再び一気に興醒めモードに突入した次第。
お相手は都庁職員の誰某で、最近の世知辛い世の中において唯一の明るいニュースですね、等とワイドショー・キャスターが心底幸福そうにまくしたてる。いつも混乱するのだけれど、放っておいてやるって事はできないのでしょうか。だいたい「さま」と付けるのも困惑対象。

さらにそんな事もどうでもよくて、今日は少し前日記にも書いた、テレビの配線交換の宅内工事があった。
デジタル放送とは何ら関係もなく、ケーブル・テレビの配線工事だった。
というわけで今朝の6時に早起きし、掃除をしなければ、と気を利かせたが、だいたい何故にこの俺様が、一方通行的(強制的)にやって来る配線工事のための掃除なんぞやらねばならぬのだ、という思いが頭の中を一気盛んに駆け巡り、さらには次第に腹が立ち、見事に放置プレイとなったわけである。

埃だらけの配線工事が始まったのは、正午辺り。
男性がやって来るのかと思いきや、男一人女一人で、ケーブル・テレビのものでござい、とやって来た。
ふむ、女性が来るのならばやはり掃除をしていれば良かった、と後悔したが時すでに遅し。『あのう、散らかってますけど』「ああ、気にしませんよ」と会話を交わすがーーーー勿論私にとっては社交辞令でも何でもなく真実を口にしただけであったのだが----その人達は見事ゲホン、ゲホンと咳きこむ始末。
終わる頃には、本格的に彼等は鼻水声になってしまい、これは本当に私の部屋のせいだろうか、と考えこまずにはいられなかった。
悪いことをしてしまった、掃除をしていれば良かった、としばらく思ったが、だいたい何故この私がそこまで気を病む必要があるというのだろうか、と思うとどうでもよくなりフラワー・キングスのBACK IN THE WORLD OF ADVENTURESを爆音で聴いた。

2004.11.14.sun.


「たかじんのそこまで言って委員会」
日曜の午後の暇潰しにいつも見ているのだけれど、相変わらず人選が最悪だ。
テレビタックルもそうだが、ああいう討論系の番組で思想の偏った連中を集めて一体何になるのだろう。
まぁ、ああいう番組はヴァラエティなので、内容よりもお笑い、視聴率が取れるかどうかなのだろうが。

『ジェンダー・フリーの問題』(ジェンダー・フリー〜社会的な性の価値観をフリーにといった意
今日も上の番組で少しだけ取り上げられていたけど、この語句は2、3年前からやたらとメディアでも取り上げられている。(ちなみにジェンダー・フリーという言葉は完全な造語らしい)
確か少し前の産経系文芸誌の「正論」にも取り上げられていた。そのずっと前の産経の社説で思いっきり批判されていたのは覚えている。
表向きは旧社会党時代(現社民)の土井たかこ前代表が人名にさんづけしたことが、発端になったとかならないとか。(で、その後公立学校の名簿の男女混合があり、現在東京都はこれを廃止)

番組での話題は、最近の公立学校の体操服を着替える部屋を混同しているという話だった。そんな馬鹿な話があるか、都合のいい時に差別だと口にし都合の悪い時にセクハラだ、と言うのはお門違いだ、と番組で散々言われていた。
これははっきり言ってかなり同意する。だいたい体操服の着替えを男女混同にしたりするのに何の意味があるのだろう。言い出したからには後に引けないという絵図が想像できる。馬鹿馬鹿しい。

というよりこんなくだらない事を言っている奴がいるからジェンダー・フリーという言葉が誤解されるんじゃないか、とも思う。こういう馬鹿馬鹿しい差別云々を口にするフェミニストは新潟に行け。ボランティア活動をする方がよっぽど世のため、人のためである。
だいたいにして私はフェミニストの大半が大嫌いだ。
結局は権力の座に成り代わりたい連中ばかりで、都合の良い偽善性や独善性ばかりを持ち、弱者のためなんですよ、と薄ら寒い戯言を口にする。
権力志向の連中は男も女も関係ない。結局そいつらこそが性にとらわれているんじゃないか、と思う。

個人的に性の価値観なんぞ個人個人が持っているものだと思う。でもそれは強制させられるものでもないし、押し付けるものでもない。日本の伝統的な性の価値観があっても、それは確かに文化的側面からの興味は尽きないが、、押し付けるものでは決してないと思う。その結果日本の伝統的な性の価値観が失われようと知ったこっちゃない。押し付けがましくなく伝えることはできるはずだ。

男は男らしく、女は女らしくしろ、と言った古代の価値観からの解放運動、同性愛者の結婚認可運動、育児問題とかなら分かる。
それが男女の名簿混同とか体操服の着替えの混同だって。意味が分からないですよ。まじで。

2004.11.13.sat.


バイトの休憩時間中、週刊雑誌ばかり読んでいる。
読むと言っても、いつも読む雑誌や項目は決まっていて、週刊現代の大橋巨泉「内遊外歓」、五木寛之「新・風に吹かれて」。プレイボーイの松本一志「プレイぼうず」、
高樹千佳子の「あっちか、こっちか」、週刊朝日の田原総一郎「ギロン堂」だけ。とりあえずこれだけ読めば休憩時間の半分は潰れる。

週刊現代の大橋巨泉のエッセイで書かれていて思い出したのだけれど、先日赤坂御所で行われた『秋の園遊会』。あれは爽快だった。
米長(元将棋士、現都教育委)という人が「日本中の学校で、国旗を掲げ国家を斉唱させることが私の役目であります」というふざけた発言をした。

天皇陛下はこの発言に対して『そうですか。なるべく強制的になるということでないことが望ましいですね』と笑顔で異例の発言をした。
この後、『ありがたいお言葉』云々言っていたが、こやつの胸の内は想像に難しくない。それとも全くの勘違いか。もしそうだとしたらおめでたすぎるが・・。

大橋巨泉はこの米長という人と旧知の仲らしいが、この時は痛快だった、と書いている。また、昨今の世相の右翼化傾向に拍車がかかってきている事に対しての陛下の遺憾の意ではないか、とも書いていた。
最近の宮内庁にコントロールされない(?)皇室の発言がたまらない、というか少し好きになってきた。頑張れ、皇室!

右翼でも左翼でも何でもいいけれど、こういう偏った考えを持つ人はどういうわけか押し付けがましい。
愛国心を高めるための教育(?)が掲げられて久しいが、「思想」を強制することは、もうその時点で民主主義ではない。とくにヒエラルキーにおいての強制は独裁に繋がる。
こういう人達は一体何を考えているのだろう。
戦前に戻る気なのか。
石原慎太郎やらが言う「愛国心の薄さに対する危機感」なんぞ心底どうでもいい。

2004.11.12.fri.


今日ももちろん、おでんにビール。
おでんにつけたカラシがキーンときて、ビールを飲んでごまかす。『うーん、いいねぇ』と頭の中で独り言。
親父街道マッシグラ。かなり危ないと思う。
貧乏人は極端から極端へと移動するため、おでんなら毎日おでん、鍋なら毎日鍋という感じが基本である(おでんや鍋を毎日できる"貧乏"なんて聞いたことはないが・・・)。まぁせいぜい、私には毎日納豆、毎日卵かけ、かな。

新しくバイトに入ってきた新人君がコテコテだった。
いわゆるB系(←死語?)のファッションで、ズボンはブカブカで腰はき、日焼けした顔に髭をたくわえたイカツイ感じ。普段ならまず聞かないが『どんな音楽聞いてるの?』と聞くと、「ヒップホップっすよ」との返答が返って来た。アメ村のレコード店の話になったが全くついていけず少し困った。

ヒップホップ系のファッションは革命的だと思う。
巨漢の大男でもそういう服装をしていると、ぴったりと合うから(バイトの新人は細身のタイプだったが)。今までモテなかったウサばらしとでも言わんばかりにイケイケになっちゃたりするもんだから、見ていて楽しい。そう思うとB系のファッションは救世主なのだ。世紀末救世主伝説はケンシロウではなく、ヒップホップなのか、ちぇけらっ。

これを多分目の前で言うと、喧嘩売っとんのか、ってことになるのだけれど、大学の構内でそういう服を身に纏った連中が我が物顔で群れながら、『お前アイツとヤッたのかよ』『ウヘヘ』というような会話を聞いていると、もう一度世紀末を迎えるような気になって仕方ありません。先生。

悪意はございません。

2004.11.11.thu.


漬け物が異常に美味しい。
ここ最近の私の食べ物と言えばもっぱらおでんと野沢菜。ビールがあれば尚良し。

今日は永遠に止むことがないような雨がシトシトとザーザーを繰り返しながら降り続いていた。(この日記を書いている時点ではザーザー)ここ最近の日本の雨はシトシト雨ではなく、短気集中型のドザー(擬音語)という雨ばかりらしい。
こんな日に限って出かけなければならなくて、とりあえずふらふらと百貨店に入った。
その百貨店に間に合わせのように新星堂が入っているのだけれど、そこでJAZZのレア気味の紙ジャケを発見してしまった。こういう辺境の店には意外とこういうレアものがあるのだ。(こういうところで名前を出すとどういうわけか売れてしまうので言わないが)
まぁどうせ売れんやろ、と思ったが一応念のため、そのCDを棚の隅っこに移しておいた。その後本屋に直行、ジャック・ケルアックやらを買って家に帰った。

ところで、今まで訳者の名前をあまり真剣に見なかったせいか、ドストエフスキーの訳者の名前にびっくりしてしまった。
「江川卓」
えっ、空白の一日男(元読売巨人軍のエース、現解説者)はロシア語が分かるのか、と思ったんだけれど、当たり前のように違う人だった。かなり有名な人らしい。

ガーデンシェッドのHPをちらっと見たら、な・・なんと、ファブリツィオ・デ・アンドレの'84年作をパガーニが新たに録り直したものが発売されていた。しかも新曲も追加だって。ぁ嗚呼嗚呼ぁぁ

2004.11.10.wed.


3時間寝て、3時間起きて、再び3時間寝る、今日はその繰り返しだった。(3時間はたいして意味はない。)
非常に中途半端な一日で、やろうと思っていたことが何一つ出来なかった。
読書をしようとする度に、子供が親の邪魔をするかのように眠気が襲ってきた。
その眠気には珈琲は全く効かなかった。
というわけで、現在早朝5時に風呂に入って上がってきたところ。

ふと気づけば、MSNのhotmailの容量が異常に増えている。少し前まで容量の90%後半を行き来していたのに、今は1%。どうやらインターネットの進歩は凄いようだ。

テレビのデジタル化が思わぬところで身に降りかかってきた。
テレビ端子の交換のための(無料の)宅内工事が必要らしく、チャンネル設定までやってくれるらしいのだが、私の部屋、テレビ端子を探しあてるには、途方もない労力を必要とするのだ。

安物サイドボードが並んでいて、テレビの端子の場所を表出させるためには、そのサイドボード全てを動かさなければならない。さらにそれを動かすためにも、そこら中にあるコンポや、レコード・プレーヤー、CDをどかさなければならない。
さらには、チャンネル設定をするためにテレビのリモコンも用意するように、とその説明書には書いてある。リモコンは去年のタイガースの日本シリーズの時、テレビに向けて投げて(ぶつけて)見事に壊れた(壊した)。

どうしてくれよう。

2004.11.9.tue.


最近痩せてきた。
顔色も悪い。
それはそれは長年冬眠する日暮のように悪い。超能力は使えない。(ちなみに、こち亀ね。)高校生の時のように得意げに、これぞロックだ、デカダンだ、と自分の不健康っぷりを自慢するつもりもない。あれはルー・リードやボウイ、イギー、マーク・ボラン、イアン・ハンターだから格好良いのだ。
お前は誰なんだ、と。エアー・ギターも中学生迄なら許そう。

『俺自身を発見する。俺自身を発見する。俺自身を発見する。俺自身を発見する。俺自身を発見する。』
寺山修司の連呼が(国境巡礼歌の人力飛行機の為の演説草案より)頭から離れない。

大学生初期の頃、世界中の憂鬱という憂鬱を火炎放射器を浴びせられるかの如く、全身に受け止めたアイタタタな暮らしを送っていたが、最近は自分の無垢なイタさを反省してか、かなりノリノリだ。
世界中の楽天的な高揚感を元気玉のように集め、魔貫光殺砲のように発射したい気分だ。
ベジータとブルマがいつ"ヤった"のかを嬉々として語る中学生の思いだ。
ケヴィン・エアーズのように世界中を放浪して、海鮮料理を研究(?)するのも悪くない。
西村修のようにインドへ自己発見(自己啓発)の旅へ行くのも悪くない。
勿論、イラクへは行かない。窪塚洋介の「I CAN FLY!」も避けたい。

『嗚呼、いつもと何もかわらないよ
いつもと何もかわらないよ   ただ
大鳥の来る日が世界最後の日
世界最後の日
世界最後の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・』(大鳥の来る日)

今これをノリノリで唄っている。充分まだイタかった。

2004.11.8.mon


珈琲の飲みすぎで、胃がキリキリする。
私は一日に珈琲を優に10杯以上飲む。この時期になってくると何が一番美味しくなるかってそりゃあもうダントツで珈琲なわけだ。真昼間から真夜中まで珈琲を飲んで煙草を吸って読書でもしながら音楽を延々と聴く快感・・。
言葉では言い表せない。このために生きているようなものである。
ただ本当はこういう暮らしは老後に取っておくべきものなのだろうが、何処で何を間違ったか、私はすでにこの暮らしの真っ只中、こういう生活を始めてベテランの域に達する時期に当たる。いくら明日死ぬかもしれない、と言ってもこういう極端に刹那的な生活を送っていると、自分が世捨て人のように感じられてくる。
こんなノンキなヤツがいる世界とは裏腹、地震の災害に遭って憔悴した日々を送る人々、何の罪もないのにイチ政治家の利害のための戦争に巻き込まれ死のフチに立たされている人がいるのである。世の中は不公平だ。

昔はわざわざ珈琲メイカーで豆を挽いて作っていて、やれブルー・マウンテンだの、キリマンジャロだのと言ってやたらと高い豆を専門店で購入していた。正直珈琲スノッブだった。
今ではもうインスタントでも全く気にならない。さすがに味や香りの違いは分かるのだが、世の中大変な折にそんなこと言ってられんでしょ、つまり日本流「贅沢は敵」というわけなのだ。
私の進歩は所詮これぐらいである。

セシリア・チャンが好きだ、と以前書いた。ファン心理として今はどういう映画に出ているのだろう、と当然ながら知りたくなってくる。そこでオフィシャルHPやらファンサイトの登場なのだが、いまいちよく分からなくて、かなり気の進まない最後の手段に出た。2ちゃんねるで検索(もう見まいと思っていたのだけれど)。
かなり少数でヒット、
専用スレッドを一つ発見した。
・・・・やっぱり見なけりゃ良かった、と後悔をすることになったのは言うまでもない。

2004.11.7.sun.


去る大統領選挙で、ブッシュへの不審票がかなり出てきて、疑惑の最中らしい。
聞くところによると、ある投票所ではブッシュへ投票すると、それが一挙に5票になっていたりするらしい。嘘みたいな話だが、確か4年前の大統領選挙もそういう疑惑があった(と思う)。フロリダ、ペンシルヴァニア、オハイオの激戦州で特に顕著らしい。
出口調査においても、周知の通りケリーに軍配が上がっていた。大統領選の出口調査はこれまでほぼ外れたことはなかったのだが、今回そういった乖離現象が起こった。今更、だからどうなんだ、って話なのだが、もしこれが本当ならば余りにも馬鹿げている。どういう選挙構造なんだ、と。だいたい選挙人システムもイマイチ納得いかない。シンプルにどちらの票数が多かったかでいいじゃないか。
川を渡っている最中に馬を乗り換えるな、ということで戦争中に大統領が交代するのはご法度らしいが、民主主義というのは一体何なのでしょうか。
ちなみに私にとって、世の経済学者や政治評論家が言う市場、または政治の原理、理論などというものは塵のようなものだ。塵の方がまだマシに思えることもある。

あ、そうそうあまり関係ないけれど、
寺島靖国のコラムで使われていた引用文がツボだったのでここで引用させて貰います。

タイタニック号沈没について、こんなジョークがある。数の足りない救命ボートには女性と子どもが優先された。残った男たちは冬の海に飛び込むしかない。それは死を意味した。乗員はいかに説得したか。

イギリス人には、「あなたはジェントルマンだ」と言えばよかった。彼らはプライドを重んじて、我先に海に飛び込んだ。アメリカ人には「これであなたはヒーローになれます」、ドイツ人には「これがルールです」と告げた。いずれも納得して死を選んだ。では、日本人にはいったいどう言えばいい?

「ほかの皆さんもそうなさっています」


今朝アマゾンで注文していたCDが届いた時、ペリカン便の配達人が『やぁ!』と声をかけてきた。
今年の夏に担当地区が変わったらしく、ここ最近は新しい人がやって来ていたのだが、前の人が急遽代理で荷物を届けに来たというわけだ。『やっぱり慣れ親しんだ所の方がええわ』とその人は語り、少しだけ話をした。
多分世の至るところで、こういう運送業者の配達人と仲の良くなる現象が起こっているはずだ。特にアマゾンを利用する人に。

2004.11.6.sat.


以前バイトの店長とウマが合わない、と書いた。
その人はまだ新任で、私が働いているコンビニに勤めだしてから間がない。近頃は全く腹が立つこともなくなり、(ほとんど喋らないが)空気のようになった。慣れ、とは便利なものだ。
しかし今になって思うのは、別にたいして嫌いでもなかったような気がする。ただ単に相性が良くないのだろうな、と直感的に思っただけの話なのかもしれない。

さて、今日はその店長の話なのだが、この人はどうやら双子らしい。
そして、そっくりらしい。双子なのだからそっくりなのは当たり前なのだが、髪型も同じらしいし、趣味も似通っているらしい。(更に言うならば同居している)
双子の人は顔が似ているので、アイデンティティ競争になりやすい、と勝手に信じていたけれど、どうやら偏見のようだ。性格も似ているらしいし。

私は実は以前から同性の双子というのに興味津々である。一人っ子が兄弟のいる人に対して興味深くなるように。仲が良いのだろうか、とか勝手に想像してしまう。で、その想像の果てはさっきも言ったように、きっと個性戦争になって仲違いするのだろうな、幼い頃親がお揃いの服を着させた事がトラウマのようになるのだろうな、と勝手に思っていたわけである。
私はどうやら「偏見種族」らしい。

偏見種族は実は結構お得である。
自分の思っていたことが覆されたことの驚き(または歓び)は、非偏見種族と比べて多いはずだ。きっと。
だからといって偏見種族になるのはあまりお薦めできない。人に嫌われるという諸刃の剣である。しかし誰にも一つや二つ偏見はある。要は、客観的に自分の偏見を知ることだ。多分そう思う。

この前も自分の偏見を更に一つ発見した。良い兆候だ。
ビリー・ジョエルを舐めていた。
紙ジャケが安価で発売されたので『ストレンジャー』を買ったのだが、これが結構良かった。以前はこういう音楽を聴くヤツは俗物的で、ブルジョア野郎に違いない、と思っていたわけだ。AORのように(でもスティーリー・ダンはかなり好きだったが)。
ストレンジャーを聞いているとポール・マッカートニーが作りそうなメロディだな、と思う曲がいくつかある。つまり、メロディー・メイカーなのだ。
変態系を好む性癖にありながら、時々こういう音楽を聴きたい時がやってくる。
それは私にとって、多分良い兆候なのだと思う。

2004.11.5.fri.


12月にニルヴァーナのBOXが出るらしく私も勿論買うつもりだった。
しかし私にはお金がなく、アイラーのBOX(驚愕の9枚組み!)とどちらを買おうか散々悩んでいたのだが、そのBOXをどれぐらい長く聴くことになるのかを検証すれば自ずと答えが出た。おそらくニルヴァーナは数回しか聴かないと思う。晴れてアイラーに決定した次第。

最近つくづく思うことが、『買わなければいけない』と思って何かを買っている事。どうも私はこれが多い気がする。一体何に急かされて「買わなければいけない」などと思ってしまうのだろう。
うーん、この話は長くなるので止めておこう。

最近レコードばかり聴いている。レコードを一回聴き始めるとなかなかCDには戻れない。
これはレコードの方が音が良いから、レコードが好きだから、などという格好をつけた理由ではなく、単に接続端子を入れ替えるのが面倒臭くて、一回入れ替えるとなかなか入れ替わらないだけのことだ。レコードしか持っていないものもあるし、大多数はCDでしか持っていなかったりするのだが、これが原因のようだ。
おかげでここ数日、『ジャズ・サンバ』のリピートのみになった。一日の半分ぐらいは音楽を聴いているので、飽きるかと思ったが意外や意外、飽きなかった。ジャズ・サンバが素晴らしすぎる。
スタン・ゲッツのテナーやチャーリー・バードのギターとかじゃなくて、恐らく原因はバディ・ディペンシュミット・ビル・ライヘンバッハ(長すぎ!)のドラムにあると思う。
この音は、料理を作る時包丁で俎板上の野菜をコンコンときざむ音に似ている。しかも超高級シェフが「どれ、私が見本を見せてあげよう」と言うような腕である。
前にも言ったが私はグルメ人間ではないので正確には知らないが、きっと優良シェフが俎板を鳴らす音は至福を感じさせることが出来る音なのだろうな、と勝手に想像する。
ジャズ・サンバだけでご飯を何杯もいける、と思った。

2004.11.4.thu.


1,2,3日と大学で学園祭があった(らしい)。もちろん、行ってない。
実は未だかつて、大学の学園祭というものに行ったことがない。この前我が掲示板に書き込んでいたブリブリザエモン(だっけ?)さんも行ったことがないはずだ。
父親に『どこの大学の学園祭も行ったことがないのはお前だけやぞ』と言われた。おかんには『あんた、将来話せる大学の思い出が何もないやん』と言われた。
そんなことはない、と反論しようと思ったけど止めておいた。素敵な思い出はあるし、学園祭に行ったことがない大学生もいるはずだ。因みに、行ったことがない大学生の方がきっと多いはずだ。

というわけで、素敵な思い出なるものを頭の中で思い浮かべてみた。思い出というのは具体的に思い出そうとすればするほど、曖昧になってくるし素敵じゃなくなってくるような気がする。夢に似ている。
ポワーンとした抽象的で素敵な思い出があって、そこから具体的なる思い出だけを抽出していくと、どうでもいいようなことばかり思い出される。そして、無理やりどうでもいい事以外を思い出し、文章にしてみようとしても結局稚拙な文章しか出てこないのだ。
例えば、ゼミの友達と----ゼミは奇跡的に仲のいい友達が多かった----熊野(和歌山県)の山に行って山登りを3日間したこと、その時大便がしたくてしたくて堪らなかったが山のど真ん中にいたこと、など。
今思えば個人的にこれも素敵な思い出なのだが、これを全く知らない他人に語っても、その人にとってもつまらないだろうし、思い出の質を低下させるような気もする。思い出なんて結局はその思い出を共有した人、あるいは個人の頭の中で飼えばいいのだ。

鍋をするために(勿論、一人鍋)野菜を昨日買ったのだけれど、凄まじく高くてびっくりした。1/4切りの白菜をいつもなら100円ぐらいで買えるのに現在なんと298円!さすがに台風には恐れ入った。そういえば、おばあちゃんも白菜の出来が悪かった、と嘆いていた(うちの畑の白菜はほぼ全滅に近いらしい)。
どういうわけか柿は沢山できていて、食べるのに困っている。
そして、久々にサンドイッチを作ろうと思ってパンとハムを買ったのはいいが、レタスが恐ろしく高くて結局買わなかった。おかげで、ただのパンとハムになってしまった。自然災害恐るべし。

2004.11.3.wed.


早朝6時ぐらいに家に帰り、寝ようと思ったのだけれど大統領選挙の行方が気になって結局昼まで眠れなかった。現在3日の夜なのだけれど結局ブッシュが勝ちそうだ。激戦州のオハイオの暫定投票の集計(金曜発表だとか)待ちだそうだが、ほとんどケリーに勝機はなさそうだ。

そういえば、2日にはプロ野球の新規参入企業の発表があった。これもまあ、楽天だったわけだけれど何だか全部つまらないことになってしまった。
所詮、出来レースならば、世の中全部、プロレスみたいになってしまえばいいのに、と思った。楽天に決まったところで、ホリエモンが乱入してマイクを奪い、蝶野正洋みたいなマイク・パフォーマンスを繰り広げていれば盛り上った。それか、ホリエモンがザ・グレート・ムタのようにペイントして壇上のカーテンから登場して、毒霧をぶっかけて逃亡していれば最高だった。翌日の東スポの一面はもちろん、ザ・グレート・ホリエモンの度アップ。

感動が甦る。1996年の神戸ワールド記念ホールのザ・グレート・ムタ対獣神サンダー・ライガーの試合。
確か、ムタが途中でライガーのマスクを外し、場外から椅子を持ってきて殴ろうとした瞬間、ライガーの仮面の下からはペイントされた怒りの獣神サンダー・ライガーが現れ、そしてライガーがムタの十八番の逆・毒霧をムタにぶっかけた。その後はまさしく混沌。椅子やら机が飛び出し、挙句の果てにライガーがマットの下に潜り込んで杭を持ってきた。
結局、ムタがスペース・ローリング・エルボーからのフェイス・クラッシャーという武藤の連携技を使い、最後はムーンサルト・ボディ・プレスでフォールを奪った。
いやぁ、懐かしい。

何の話をしてたっけ。

今日は久々にストレスが溜まったので、マグマのメカニック・デストラクティヴ・コマンドゥを一人で歌った。勿論、なんちゃってコバイヤ語で。誰かに見られたらやばい、と思った。

2004.11.2.tue.


今日は、久々に男友達と二人で飲みに行った。
その前にDISC・J.J.でスタン・ゲッツ&チャーリー・バードのジャズ・サンバのレコードを買った。明日(3日)が祝日なので、梅田は何処を見回しても人、人、人。居酒屋で飲んでいても、隣も、そのまた隣もコンパだらけだった。世の中で行われているありとあらゆるコンパがここに集結したかのような光景だった。あらゆる方向から、大声が聞こえてきた。
そして、私達はそういう人達を揶揄した、ちょっとしたユーモアを盛り込んだ会話を続けることになる。勿論、そこにあらゆる嫉妬が含まれているのは明白で、その事は暗黙の了解で、会話が続く。これもまた男同士の酒盛りにありきたりの風景で、なんとも言えず楽しいのだ。

9時頃飲み始め、終電を気にしながら飲んだのだけれど、気付いたら夜中の2時だった。周りの客の回転率とは別に、私達はホッケと茄子の漬け物とビールを頼みつづけた。3時まで約6時間。
久々に、音楽、小説、映画の話をしたような気がする。これも現実で話せる相手もあまりいないので、嬉しかった。
頭が痛くなり、とりあえず珈琲が飲みたくなったので、ファースト・キッチンに行って珈琲を飲んだ。こういうファースト・フード店の珈琲は死ぬほどまずい。そしてそこは、終電を逃したサラリーマンや、若者が始発を待つための暇を潰す溜まり場と化していた。これも余計に頭痛を酷くさせた。

結局、缶珈琲を買って、歩道橋の階段に座ることにした。朝まで梅田にいるというのはかなり久々だったのであらゆる感情を思い出すことになる。早朝4時頃の梅田の街はかなり酷い。踏まれた煙草の吸殻が道路を支配し、始発が動き出し、疲れた顔をした団体が駅の方へ向かって一斉に歩いていく。
ホームレスがダンボールに包まり死んだように眠っている。そのうち、鳩が集まってくるのだろうな、と思った。そこまでいくと侘しさしかない。
というわけで帰った。
友達といる間は絶えずハイ・テンションだったのだが、別れた後一気に早朝4時の都会の街の思いを味わうことになった。でも、これも全部懐かしい。楽しかった。

ちなみに、今日だけで煙草3箱消費した。

2004.11.1.mon.


さて、11月になった。
秋らしく、文字の色を心機一転変えてみた。前の文字色は文章自体が暗くなるから駄目だ。とは言っても、11月の途中でもうすでに冬になっているのかもしれない。それに、この文字の色が秋を思わせる色なのかも微妙になってきた。だんだん、うんこ色のように思えてきた。うんこ色のように思えてくると今度はうんこ色にしか思えなくなってくる。うんこ色にしか思えなくなった時点でうんこを頭の中に思い描かずにはいられなくなる。もう止められない。そして気分が悪化してくる。洗脳だ。
日記の容量が増え続けているので、今月はビシっと終わらせようと思う。

実は今日も16時間ぐらい寝ていたので、書くことがない。出掛けたところは、郵便局と関西スーパーだけだ。やっぱりこういう日記は人と喋らず何の出来事もなしに書くというのがそもそも間違いなのだ。
とは言ってもやはり寝ていただけなので、どうしようもない。
本日の私の出来事としては、夜も深ける頃、イエスのイエス・ソングスを爆音で通して聴いたことぐらいだ。実はこのイエス・ソングス、3枚組みでやたらと長い(130分ぐらい)。聴いていると、次第に修行(荒行かも)のように思えてくる。演奏自体は素晴らしいのであまり退屈はしないのだが、一体このイエス・ソングスを好き好んで夜中に通しで聴いている人が世の中に何人いるのだろうか。今時イエスを聴く人間もあまりいないだろう。

こんなくだらない自慢話しか書くことがないくらいに、今日は薄っぺらい一日だった。

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