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  40: NEIL INNES / BOOK OF RECORDS

これは元ラトルズ&元ボンゾズのニール・イネスの79年のソロ作。
SD誌でもインタビューが載ってたりと意外と人気があるのだなーと思ってたのだけれど、昨年(?)紙ジャケになりました(それまで入手困難だったので狂喜乱舞)。おお、こんなものまで紙ジャケに!なんて思っていたが、紙ジャケを見てあまりにもの乱雑さ(というより小さいのだ、MSI!)に辟易・・・というわけで思い入れ(?)は並大抵じゃございません。

紙ジャケはいいとして、これを聴いているといつ聴いても楽しい気分にさせられる。ヴァラエティ&ユーモアに富んだ音楽は自信に満ち溢れているし、下手をするとポールよりメロディ・メイカーぶりを発揮しているんじゃないかとすら思わせる(こういう事を言われるのは心外なのかもしれないが)。ジャジーな曲にしても堅苦しさは皆無だし、ひたすらニール・イネスの世界観で満ち溢れている。何よりビートル・ライクな7変化ヴォイスは素直に楽しい。
2001年に初来日を果たしたニール・イネス。是非ともまた来日して欲しい。

 

39: THE COSMIC JOKERS / same

当時はほとんど見向きもされなかったと言う一連のジャーマン・プログレ勢(CAN除く)の作品が90年代に入り評価されると言うのは何とも虚しいものがある(個人的にテクノ、トランス勢からの評価はどーでもいいが)。
アシュ・ラ・テンペルが憂き目に遭ったのならば当然このコズミック・ジョーカーズなんて当時話題にもならなかったのだろうと想像する(話題になってたらごめんなさい)。
これはアシュ・ラ・テンペルのマニュエル・ゲッチング、ヴァレンシュタインのハロルド・グロスコフ、ユルゲン・ドラーゼ、ディーター・ディアークス、クラウス・シュルツェのジャーマン・トリップ系の大御所の面々が集まったセッション録音。

当時の宇宙志向というやつなのか、はたまたゲルマン民族の深層心理なのか、薬によるものか私のような凡人には到底理解し得ないセッションではあるが、とにかく心地良い。ジミヘン等のギター・ソロの輪郭をボカシ、浮遊感を加え・・・と言うと一連のトリップ系ジャーマン・プログレ勢と何ら変わらないのだけれど、特に変わりはないし、遜色もない。構成もアシュ・ラ・テンペルの1stに似ている。そこにハロルド・グロスコフの叙情性が若干加味された状態。私の安眠カプリッチオ(狂想曲)。
ある種現実逃避という事なのだろうが、一体何からそこまで逃げるのか、ドイツという国はいつまでも不思議な国である。

 

38: AUNT SALLY / same

歌が巧いとか、演奏が上手とか、それらの評価と無縁な名盤なんて数えればキリがないが、あえて言うのなら個性に重点が置かれた音楽ということだろう。そしてそちらの方が明らかに難しい。
これ以降、日本は多様化をアリバイに没個性時代を突き進むことになる。個性の時代、と現代において言われるのも全部マヤカシである。あえて言うのなら、「都合の良い個性」求む、みたいな感じでしょう。

誰もが分かっているが暗黙の了解になっている、または黙殺されている偽善、それらをシニカルに告発する。パンクの連中が押し付けがましく怒鳴りたてたのに対し、Phewは熱くなることもなく、どーでもいいように言葉を放つ。その言葉は行き場所がないように宙ぶらりんになる。誰もその宙ぶらりんの言葉を掴めない。

正直言って、伝説という言葉が見合うアルバムだとも、オリジナル盤が云万円になるようなアルバムとも思えない。そして所謂「愛聴盤」というのになり得ないアルバムになっている、私の中では。その意味は、聴けば分かる。もっと歳を取れば、冷静に聴けるのかもしれない。或いは、10代の頃に出会っていれば違っていたかもしれない。なんだかアンニュイな気分。

 

37: SCRAPING FOETUS OFF THE WHEEL / "NAIL"

先人達の生み出した文化は世襲され、改良され、或いは質を落とし、誤解され、伝えられていった。世襲される文化は質を悪くすると言うが、文化の外枠だけなぞるならばやはりそうなのかもしれない。ここに外見を気にする人間、内なる改革を目指す人間の違いが現れるのだと思う。

インダストリアル・ロックという型にはめられて損をしていると言えばNINもそうかもしれないけど、フィータスはその筆頭だろう。ましてや、ミニストリーやNINなんかと比べると知名度の上で圧倒的に劣るわけで尚更かもしれない。
ただし音楽性だけはズバ抜けていると言ってもいい。インダストリアルも一つの手法に過ぎず、音楽性だけ見てもクラシック、ジャズ、ロック、現代音楽、民族音楽等と幅広い。
それでもごった煮な感,あからさまな感がないのは、ジム・フィータスのセンスによるものなのだろう。そこに独特の「怒り」が加えられている。完成度の高さ故に様式という誤解を招き、様式という外見だけのクローンを生む。フィータスはそれをせせら笑うかのように通過していく。途中下車をしないのだ。

HOLEと並び傑作として名高い(?)このnail、いつ聴いてもゾクゾクしてしまう。雑感としてなにかに追い立てられるかのような、追い詰められているかのような切迫感と焦燥感。
クラシカルなシンセを被せ、メタリックで動きのあるパーカッション、そして何よりもヴォーカルの牽引力が凄い(言葉数も凄い)。
現在この辺の作品が入手困難らしいけど、これを機にリマスター再発を望む。

 

36: 中島みゆき / 生きていてもいいですか

中島みゆきを熱心に聞いているというわけでもない。これを聴いていると、この一枚でなんとなくいいかなーと思ってしまう次第。

絶望無きところに希望なし。つまりは表裏一体であるこれらの望を、誰しもが持っているはずなのに、誰もがそれを突き詰めない。知るのが怖い、と言うより最近はまるでそう考える時間すらない、という風だ。素晴らしい世の中になったもんである。
綺麗事に救いはない。絶望には救いがある。パンドラの箱を開くと、生きていてもいいですか?と問い掛けてくるに違いない。開くかどうか、が重要なのだ。

『世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて、まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時、突然おまえから電話がくる。突然おまえから電話がくる。あのぅ、そばでも食わないかぁ、ってね。
べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど、居留守つかうのもなんだかみたいでなんのかんのと割り箸を折っている。どうでもいいけどとんがらし。どうでもいいけどとんがらし。そんなにかけちゃよくないよ、ってね』(蕎麦屋より)

どうでもいいけどとんがらし、というのがたまらなく良い。
出来れば、このアルバムは弾き語りのみにして欲しかった。。
それにしても、このアルバム・ジャケット、これじゃぁまるで不失者じゃないか。

 

35: PENGUIN CAFE ORCHESTRA / same

新年第一号。
世の中のあらゆる事と無関係に生息するペンギンと、ペンギン人間の同居。扉から覗ける風景は南極ではなく、ペンギン・ユートピア。環境破壊も無く自然が広がる。

サイモン・ジェフスが提唱(?)するペンギン・カフェで演奏されるような音楽、って一体何のことなのかよく分からないが、なんとなくそんな気にさせる音楽ではある。細かいことは良いじゃないか、的な一般性に長け、更には緻密なアンサンブルが楽しめる珠玉の一枚。
室内楽的な音でありながら、モロに自然をイメージさせるのは、クラシックの素養と、各国の伝統音楽、民族音楽を変態的に学んだサイモン・ジェフスのアイデアの豊富さだろう。その豊富なサウンド・テクスチャーからそよ風が流れ出る。そよ風とそよ風の隙間から、変態的なユーモアを垣間見れる。例えば、1曲目のイントロ、ギターの試しで鳴らしてみましたというような音から、スピードに乗る様は絶妙だ。(因みに、これは2nd)

想像力の乏しい音楽が垂れ流し的に大量生産される昨今、想像力の偉大さを感じさせてくれる。美しく、煌びやか、懐かしく、楽しく、そして優しいペンギン・カフェ。

 

34: TYRANNOSAURUS REX / UNICORN

祝:紙ジャケ化記念!と唸るほどのものでは断じてないが、T-REXの存在に押し潰されたこのティラノザウルス・レックスの音楽性は、忘れ去られるにはあまりに惜しい。
と熱く語れるほど私はティラノザウルス・レックスもT-REXも詳しくないのだけれど、これを聴いて驚いた。マーク・ボランという存在は相方により、磁石のSからNのような相反的な変化を見せたのである。

つまり、T-REXでボランをポップ・スターに伸し上げる扶助を担ったミッキー・フィンと、ティラノザウルス・レックスでのスティーヴ・ペレグリン・トゥック。
ティラノザウルス・レックスの音楽を聴く限り、どうやらスティーヴは悪魔だったようだ。ジャケットも何だか悪魔に取り付かれた青年という感じで危なさが伝わってくる。

色々意見があるようだが、スティーヴのプリミティヴなパーカション、そして何よりも不思議な世界へ導く二人のハーモニー・ワークはティラノザウルス・レックスにしか存在しない音である。結局この3rd以降二人は袂を分かつことになるわけだが、現代から聴くこのユニコーンは、存在しない一角獣のように遠い世界に置き忘れられているような気がする。虚しさを感じる音という意味では最高かも。

シド・バレット等のサイケ好きも是非。

 

33: METRO / same

ダンカン・ブラウンとピーター・ゴドウィンが組んだメトロの1stアルバム(同名のジャズ・バンドもいるので注意)。他のメンバーはジーン・ライオンズ、ヘルプでサイモン・フィリップス等が参加している。
先ず、ジャケットに目を惹かれる。えっ、グラム・ロック?という感じなのだけれど、中身はケバケバしさは全く無く非常に洗練されている。

1977年発売とあるが、パンクの荒々しさは全くなく、クールである。どちらかというとAOR方面だが、個人的にはプログレッシヴ・ポップ。モダン・ポップとも呼ばれている。
何はともあれ、ヴォーカルでここまでの浮遊感を醸し出すのだから凄い(特にM4)。いや、凄いと唸るほどでもない。どこか忘れられず心の奥隅に居座りつづける感じだろうか。非常に繊細な灯火のように、どことなく悲しい。

絶対にこの人達確信犯だと思う。わざとニッチな世界へ逃避しているような。隙間という隙間を探し出して、『よし、ここなら誰の邪魔もなくやれるだろう』という具合である。それにしても、ジャケットだけは謎だ。

因みにM1クリミナル・ワールドはボウイがカヴァーしている。あの人もジョナサン・リッチマンやメトロとか取り上げているが、こういう気質があるのかもしれないですね。ニッチ願望。

 

32: DAVID GARLAND / ON THE OTHER SIDE OF THE WINDOW

びっくりなほど素晴らしいアルバムを人知れず出しているアーティストは山のように存在するようです。それこそ私の住んでいる世界とは違う世界で生きている人のように。(その世界はきっと素晴らしい世界に違いない!)

レッド・ガーランドとは何の関係もないデイヴィッド・ガーランドの2003年の新譜。NYアヴァン・ポップの重鎮。ビーチ・ボーイズの「駄目な僕」をカヴァーしたり、80年代中盤辺りから活躍しているアーティスト。現在はニューヨークのFMDJを務めたり、独自の範囲で活動を続けている。

なんとロバート・ワイアットまでもが大絶賛のコメントをこの新譜に送っていたりして、そんなコメントを気にして買うしか辿り着く道はなかったものか、と今更ながら自責の念に駆られます。で、今回ロクス・ソルスのサイトにてワイアットのコメントに後押しされて購入した次第。
大概の推薦文は商業の匂いがプンプンしているが、このアルバムは先述したように商業云々ではなく、違う世界にひっそりと生息するかのように存在しているアルバムである。
ガーランド自身ライナーで述べているように、とても奇妙なポップ・ソング集。彼の歌自体はジョン・グリーヴスのような質感があるが、バックの演奏がそれこそ違う世界から奏でられるかのように、静かにひっそりと彼の歌と結びつく。
詩人でもある彼の詩は、コミュニケーションについて。

ワイアットの文章を引用させて貰います。
「このアルバムは素敵で素晴らしい、思いがけない贈り物だ。中身を聴くまでそれが何なのか知ろうとしてはいけない。聴けば気分が良くなる。それは私が保証する。」
(ROBERT WYATT)

 

31: DR.JOHN / GUMBO

グリ・グリで衝撃のデビューを飾ったドクター・ジョンは72年、このアルバムで自身のルーツ、ニュー・オリンズの音楽を積極的に取り上げた。
ゲスト陣もそれ系の凄腕ミュージシャンばかりで、当時のロックに新風を巻き込んだのがこのガンボである、と言っても過言ではないと思う。

力強いリズムにファンキーなDR.JOHNのヴォーカル。全ての曲が50年代に歌われた曲を取り上げたもので、70年代のロックとミックスさせたその内容は、パワーも数段アップ。これをドクター・ジョンが歌っているところを想像してみると倍増し。
酔っ払いとしか思えない声で歌われると、こちらまでホロ酔い気分、思わず「もう一杯!」と口にしそうだ。そして聞き終えると精神的にたくましくなったかのような錯覚に陥る。(まるでボクシングの試合を経験したかのよう!)
私は決まってこの後、ストーンズのスティッキー・フィンガーズを聴く。リトル・フィートやザ・バンド好きなら勿論買いで、精神的なドーピングを行いたい人にも問答無用にお薦めだ。

ちなみに、ヒューイ・スミスの原曲は映画『スナッチ』でも使われていたので知っている人も多いと思う。

 

 

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