DIARY

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2004.10.31
この季節になると、暖かいスープ系の食べ物が恋しくなる。
というわけで、スープ(インスタントだが)を温めようとし、鍋に水を入れ湯を沸かした。そして、何を思ったかそれを忘れて寝てしまった。
起きた時、悲惨なことになった。火事にならなかったのは不幸中の幸いだが、鍋の湯が沸騰し、さらには蒸発し、それが約5時間ぐらい続いたと思われる。辺りは、異様な匂いで息も出来ず、煙が立ち込め、真っ白になっていた。キッチンは一人暮らし用の部屋にありがちな廊下の一部で、この部屋のドアで隔てられている。自分がいる部屋とその廊下との間に違う世界を見た。

今夜は、昨年から延長されていた『西部警察』があったようだ。勿論、見ていない。
私は『石原軍団』というのが昔からどうも生理的に受け付けず駄目だった。俺たちが男の価値観を決めているぜ、みたいな感じがどうも受けつけない。ナヨナヨした弱いヤツは男じゃないのか、と言いたい。そんな事は一言も言っていない、と言われそうだが顔がそう語っているのだ。

最近、一日のうち約半分以上、夢の中にいる。つまり、12時間以上は寝ています。

 

2004.10.30
この日記を書いている時点で、現在31日の午前10時。
イラクで人質になっていた香田さんの遺体を日本政府が正式に確認した、というニュースがつい先ほど流れた。香田さんの生死の報道は二転三転していて、30日の夕刊では身元不明の遺体を香田さんと断定と報道され、今朝(31日)の朝刊で誤報であった、と書かれていた。それで、今回の正式確認。
家族の人からすれば、二度ショックを受けたことになる。もし私が彼の家族だったなら、と考えるとなんとも言えない気持ちになってくる。一体誰を恨めばいいのだろうか。誰かを恨んで済む問題でもない、と綺麗事ならいくらでも言えるが、こういう時は誰かを恨まなければやっていられない。そう考えると誰だろう。ブッシュか小泉か、テロリストだろうか。そう考えるとますます悲惨だ。その恨みは一体何処へいくのだろう。


10月が終わる。就職活動をもっと必死にやらなければいけないのだけれど、如何せん私には危機感が無く、これと言って先に進める見通しもない。お先真っ暗なはずなのに、これと言って悲観的でもない。(表立った活動をしていないのに、先に進むも後退するもないのだが・・。)

私には以前から一貫して人の流れには巻き込まれたくない、関わりたくない、という思いがある。これが良いのか悪いのかはよく分からないが、今になって多少後悔したりもする。皆が就職活動に齷齪としている時に私もやれば良かった、と思う時がたまにある。数秒すれば忘れるのだが・・・。

いろんな人を見てきた。
張り切って就職活動を開始したのはいいのだが、ちっとも決まらず、夏の暑い時も必死で活動し、さらに決まらず鬱病になった人。夢と希望を抱き入社し、数ヶ月で辞めた人、とか。
私が聞いていて一番悲惨なのが、働き尽くめで暇は全く無くなり、『人間何にだって慣れるもんだ』と言う人。これだけはいつ聞いてもゾッとする。そんなものに慣れたくもない。

11月の後半にドラクエ8が出る。12月にメタルギア・ソリッドの続編が出る。
実は今、ちょっと危機感が出てきた。

 

2004.10.29
正直、20世紀少年(浦沢直樹)、引っ張りすぎじゃないでしょうか。
一応、人並みに漫画も好きで、人並みにこういう漫画も読むわけなのだけれど、漫画って値段が高すぎな気がする。煙草と同じように値段が上がっていくので、次第と読まなくなってしまった。
実家には漫画が山ほどあって、いつも実家に帰る度に読み返すのが、『聖闘士星矢』。

話は変わって、最近あまり気にしたこともないせいか、18歳と20歳の違いに些か混乱する。
例えば、煙草やお酒は18歳から良くて、車の免許を取れるのが20歳。なんてことに頭の中でなっていたりする。これって私だけでしょうか。面倒なので、全部18歳にして欲しい。

 

2004.10.28
私は別にこれと言って、ジェンダー(社会的な性の価値観)的なものに捕われて物事を考える方ではないが、いつも一つだけ確信があった。プログレ・リスナーに女性が少ないということ。これは今でも偏見でも何でもないと思っている。

今から言うことは多分に偏見的かもしれないが、どちらかと言えばロッキンオンとかスヌーザーという(個人的に大嫌いな)雑誌を読んでいる人は多いような気がする。多分UKロック好きも多いはずだ。(洋楽を聴くという人が比率的に少ないという事実はここでは考えずに)ちなみに、私はこのUKロックという呼称も嫌いだ。
例えば雑誌の話。(個人的にあまり定期的に雑誌は読まないが、)想像してみて欲しい。若い女性がユーロ・ロック・プレスやストレンジ・デイズを読んでいる姿を。全く私にはイメージできない。レコード・コレクターズやミュージック・マガジンならいるかもしれない。ストレンジ・デイズもひょっとしたらいるかもしれない。でもユーロ・ロック・プレスだけはあり得ない。
例えば、具体的に音楽の話。レディオヘッドやビョーク、オアシス、レム、マニックスとかは優に想像できる。でもキング・クリムゾンやマグマ、アレアはあまり想像できるとは言い難い。プログレほどではないが、スレイヤーとかメシュガー、ニューロシスとかも想像し難い。案外灰野敬二やメルツバウとかは想像できる。(ジャズやクラシックは結構いると思う)
ここから先、持論を展開しようと思ったが、反感を買いそうなので止めておこう。

ところで、これを書いている時点で、例のイラク人質事件の期限がかなり迫っていると思われる。
日本政府の判断は実に現実的なものだ。どこかの評論家も言っていたが、今のイラクへ行った人には責任がある、けれど自衛隊がイラクへ派遣されていなかったら拉致されなかったとして、日本政府は救出に全力を傾ける義務もある。日本政府の判断は現実的だった。

最近はもう気候的には冬でしょうかね。
風邪がなかなか治らないのはさて置き、この季節の変わり目は実に危険だ。何が危険って、痔。
私は痔になったことはないが、近頃はそればかり恐れております。ケツが痛い秋の夜長、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

2004.10.27
今日はさらに、寒い一日だった。
今日も震度6弱の地震が起きたようだ。しかし、実は私の危惧していたのは、『相棒』放送中に、そういう地震が起きて報道番組に切り替わることだった。不謹慎ながら。

昼頃、部屋のドアをノックされて、不審に思いながら出てみるとガス点検の人が来た。最悪なことに、ベランダにガスのなんとかがついていたので、部屋に上がりたいということだった。そういえば、何週間か前にガス点検があるという通知があったことを思い出した。
部屋の中は、CDやら本やらが散乱していて、お世辞にも片付いているとは言い難かったので、居留守を使えば良かった、と後悔した。
その人は50代後半ぐらいの白髪、白髭交じりの、見た目は老人と言ってもいいくらいに痩せた人だった。『散らかってますけど・・・』と私が言うと、『ああ。気にしませんよ』と慣れた口調で言い、慣れた手つきで点検し始めた。
そして、『今日は大学ないの?』と質問が始まった。4回生なので大学はあまりない、と言うと、就職は決まった?とか、予想通りの展開になった。嫌な展開だった。
『私の娘も今大学生でね、ロンドンに留学しているんですよ。もう一人の娘は大学を途中で休学してねぇ。親はたまったもんじゃないよ』と語り始めた。何だか、私が説教されている気分になったのは言うまでもない。
『ごめんなさい』と言ってしまいそうだった。

今日は身も心も寒い一日だった。

 

2004.10.26
風邪のせいだろうか、煙草が不味い。
ハイライトとマイルド・セブン・プライムのメンソールのサンプルが山のようにあるのだけれど、どうも吸う気になれない。
そういえば、今日はずっと雨が降っていたようだ。全く外に出なかったので、あまり感じなかったが、結構寒い。これは風邪のせいではないようだ。

話は変わって、米大統領選挙日、11月2日に近づいている。そう言えば、その日辺りにプロ野球の新規参入企業も発表される。これは、まぁ、全く関係ないが。

MSNのニュースにもある通り、共和党ブッシュ支持が若干多いようだ。
ちなみに、日本における国内世論も恐らく、ブッシュ支持が多いと思う。これは、マスコミのプロパガンダかもしれないが、日本の国益を考えるならば、ブッシュが再選する方が日本にとって望ましいという考え方からによるものである。(ちなみに関係ないけど、外向評論家の岡崎っていうヤツはまじでウザイ)
更には、民主党のケリー陣営の政策案に、アジアに対する政策がほとんどなかった、という点も追い風になっている。これは、恐らくその通りで、アメリカの自動車産業がついている民主党にとって(違ってたらゴメンなさい)、日本との貿易を考えると、将来の日本経済の国益は、共和党と比べればかなり見劣りするのだろう。(これはあくまで一部です)

つまり、日本人にとって、日本人の国益が一番重要なわけである。ブッシュ支持の意見の大方は。
ちなみに、私は困ったせいか、愛国心というのがどうやら欠如しているようで、日本の国益なんか別にどうでも良い。ちなみに、ここでイラク戦争の犠牲について、変にヒューマニズム論を展開するつもりもないが、国益どうのこうの言っている奴は、本当にそう思っているのだろうか、問い詰めたい。
例えば、『国益が!』と連呼している人へ告ぐ。今までの4年間ブッシュが大統領であった時に、その所謂国益とやらの恩恵にありつけたのだろうか?いや、さらに突き詰めれば、その恩恵に例えありつけなかったとして、日本のことを思うが故の、意見なのだろうか。

どうも、この国益という言葉、胡散臭い。

 

2004.10.25                      
今日は、多分約一年ぶりぐらいに心斎橋に行った。
私の大嫌いなアメ村へ。ここは、私の偏見的に大嫌いな人種がウヨウヨといるので歩くスピードはいつもの2倍。大阪人は歩くスピードが速いと言うが、私も例に漏らさずそれで、今日はさらにその2倍。
走りだしそうな勢いだった。
結局、CD屋に行っただけで何もしていない。

西武ライオンズが優勝した。名古屋ドームは9割方ドラゴンズファンで、いつも思うことだが、勝利監督インタビューやヒーロー・インタビューが可哀相で仕方ない。きっともの凄いヤジがあるのだろう。
パ・リーグ側が優勝するのは、今年の球界の流れを見れば良いことだと思うが、ライオンズというのがどうも、有価証券の事件でどうもイメージが悪い。何の関係もない選手が不憫で仕方ない。まぁ、おめでとうございます。

ちなみに、ネットがめでたく復活した。
掲示板には、レビューも書いておく、と書いてしまったが実は何も書いていません。インターネットがなくても何とも思わない正常な人間に戻ったようだ。良かった、良かった。
明日(26日)は、多分更新します。

 

2004.10.24
CDの安否どころじゃなくなってきた。
一夜明けて、被害の状況が拡大してきているようだ。戦争時代に逆戻りしたかのような、食料配給。
おにぎり二つで足りるのだろうか、とくだらない事ばかり頭に浮かぶ。

サンプロでも、やたらと地震のことばかりで、田原総一郎もやたらと迷惑そうに見えた。地震専門家と討論していたが、田原総一郎は歯切れが悪かった。
ちなみに、いつも思うことだが、うじきつよしのコメントは見ていて腹が立ってくる。もう少し、まともなこと言えよ、とハラハラしてしまう。伸輔はそれを考えると天才だ。

今日は(も)一日中暇だった。
暇だったので、たかじんの(昼2時〜日本テレビ系)番組でも見た。相変わらずコメンテーターどもの言っていることに腹が立った。
政治評論家の三宅というジジイ、こいつは一体何様なんだろう。その隣に座っている金という人も偉そうでイライラしてくる。風邪だから余計に神経過敏になる。

ところで、私の風邪は一体いつ治るのだろう。

 

2004.10.23
新潟中越地震。
各地に台風が再来しまくって、被害を拡大させているところにまたこれだ。
ちなみに、私の父親が新潟に出張していた。電話がかなり不通で、全然繋がらなかった。結局、大丈夫だったんだけれど。

テロリストが爆弾を落とすわけでもないので、さぞや被災された人の心境は複雑だろう。自然災害ほどストレスがたまるものはない。
客観的に見ている私達の考えることはただ一つ。
『これが自分達の町に起こればどうなるか?』と誰しも考えるだろう。
政府の対応は素早かった、と与野党、超党派的に言っているが、これが都会だったらそうはいかない。さらに、我等音楽ファンが考えることもただ一つ。
CD(LP)の安否。

そろそろ、地震対策を考えなければ。

 

2004.10.22
金曜日。
最近は、一回読んだ本を読み返してばかりだ。というわけで、今日は太宰治の『斜陽』。
斜陽という言葉は個人的に非常に好きだ。
日本語は素晴らしい。
太宰治の本って基本的に反面教師的に読んでしまう。本で読む分にはデカダンぽくて良いんだけれど、自分もこんな生活をしてみたい、と思ったらかなりヤバイ。
キース・リチャーズを見ていて思うことと、太宰は同じところにある。

絶対にキース・リチャーズになりたくない、と思うところが私の真面目なところだ。チャーリー・ワッツならなってみてもいい。ミック・ジャガーはちょっとエセっぽくて嫌だ。ブライアン・ジョーンズは死んでも嫌だ。

私はきっと長生きするだろう。

 

2004.10.21
私の他愛のないドキドキ感とは裏腹、どうやら台風による被害が凄かったようだ。
京都の舞鶴や、兵庫の豊岡では川の堤防が決壊して、街自体が湖と化していた。
車もほとんど水に浸かっていて廃車状態、何でも保険も下りないらしい。もし、これが自分の身に振りかかったならば、自殺しそうな気がする。

そして、風邪をぶり返した。
ネットが止まって約1週間、ほとんど風邪をひいていた気がする。風邪というのをアリバイに、就職活動も気分良くサボレタわけである。
そして、そのお陰で、かなり本が読めた。

今日は『武器よ、さらば』(ヘミングウェイ)を読み返した。今思うと、この話って何の面白みもない気がする。戦争は何だったんだ、と。
イタリア軍の退却劇や、スイスへの逃亡のシーンは面白いのだけれど、キャサリンの死に方が納得いかなすぎて、どうも後味が良くない。
しかも、主人公と恋人キャサリンの会話が凄いし。(訳が凄いのかもしれないけれど。)

 

2004.10.20
台風がやってくる、ヤァ、ヤァ、ヤァ!
前にも書いたが、台風がやってくる前は、不謹慎ながら非常にドキドキする。思えば、小、中学生だった頃の『警報』を待ち望む気持ちが今も着々と引き継がれているのだろう。

逆に警報が出なかった時、夜中に台風が通り過ぎて行った時の空虚感は言葉では言い表せない。もしくは、途中で警報が解除になった時、学校に行ってから警報が出た時ほど悲惨な気持ちはない。
台風が犬小屋を吹っ飛ばしたり、物置小屋を吹っ飛ばす事はよくあったが、それも今となっては何だか爽快で心地良いものだったと記憶する。
停電の時のドキドキ感も同様で、なんだか世の中と隔離された気分になり、それが妙に嬉しかったのだ。

NHKは現在の台風の状況を延々と放送している。
台風が通っている最中のドキドキ感とは違って、通り過ぎた後の虚しさは悲惨だ。晴天になると、もっと悲惨な気持ちになる。報道各局は、被害の状況をこと細やかに伝える。それがさらに悲惨にする。

というわけで、大阪には夜台風が通過した。
今日は待ちに待った『相棒』の日で、台風が通り過ぎていることを全く忘れてしまい、気付いたら通り過ぎていた。さらに気がついた時には、熱帯低気圧に変わっていた。

 

2004.10.19
風邪は若干良くなっているようだが、鼻水は相変わらず日常生活に支障を来たすほどで、咳も終わりがない。終わりがない、と思えるような咳ほど悲惨なものはない。鼻水と併せて呼吸困難で死にそうだ。

それにしても、またもや前の台風の勢力を上回る台風がやって来ているらしい。
しかしながら、今の私は向かうところ敵なしで、そんな事はかなりどうでもいい。風邪だから。

風邪は自分を中心にする。
またひどく弱気になる。熱は一体何度あるのだろう?
ちなみに、体温計は大嫌いなので家にはない。だいたい、熱が38度あったとして、そしてそれが分かったところで一体何だって言うのだろう。
知らぬが仏、というわけで寝ます。おやすみなさい。

 

2004.10.18
風邪が悪化している。薬が一向に効かない。
先日から始まった予算委員会が放送されている。聴いていると、余計に頭痛が酷くなってきた。(特に南野(のうの)法務大臣の答弁。何者だろう、こやつは。)

この人達の答弁がコミュニケーションに置き換えられるならば、私達の、普段、日常において行われているコミュニケーションは実に理想的で綺麗なものだ。

あまり書くことがない。
無駄なことばかり頭に浮かんで消えていく。
例えば、山崎パンのCMに出ている女の子。なんて作られた笑顔を浮かべる人なんだ、と思った。それに比べれば水野真紀が関西電力や大阪ガスのCMで実に女優的な笑顔を営業的にこなしている姿を見ているギャップ。山崎パンのCMに出演している女の子からはある程度、頑張ろうという気持ちが窺い知れるのだが、水野真紀やらはそんなレヴェルではない。実にお仕事的だ。そこには嫌悪感も好感もない。

というわけで、こういう無駄なことばかり考えてしまう。風邪のせいだ。

 

2004.10.17
ネットが止まって4日目。日曜日。

風邪は悪化するし、暇なので世の中は複雑なのかどうか考えてみた。
人間が生きるために根源的に必要とするもの、衣食住、三大欲求、性欲、睡眠欲、食欲。気が利いた人ならば、愛と言うのかもしれない。
至ってシンプルだ。レジデンツの歌にあるようにシンプルだ。WE ARE SIMPLE。

表は極めてシンプルなのに、その裏の成り立ちを見てみると、何やら意味不明な回路で繋がっている。衣食住を提供するための労働力。衣には衣の労働力が必要で、食には食の労働力が必要だ。住も同様だ。更には衣、食とともに動物なり植物なりの生体圏も関ってくる。
一人一人のやり取りが面倒なので、管理するものが生まれた。縄張りも出来る。宗教も出来る。戦争が起こる。さらに、やり取りのために通貨が必要だ。管理されやすくするためにある者は会社を作る。そういうのが数多く出来る。数多くの衣食住をカヴァーするために。
様々な情報が生まれる。情報を統制する機関も出来る。更にはそれもやり取り(商売)される。会社を興すために資金を集めなければならない。株式。有限。お金自体が取引される。
衣食住を保護するために、保険もある。
利便化が進む。時間が余る。根源的に必要としないものも求め出す。レジャー、芸術、スポーツetc。それも取引される。会社が出来る。
全て計算して生産しようとされたりもしたが、会社自体がより大きな利益を求め、競争する。または、利便を追求したが故に、あらゆる旧式の物事が崩壊する。
より利便を図るため、コンピューターも進化する。お金の取引きも進化する。
そのお金の取引きの末端で躓いたのが私だ。

風邪のせいで頭がおかしい。

シンプルの対義語は複雑だが、同義語と言っても良いかもしれない。シンプルなものは必ず複雑で、複雑なものの根源は必ずシンプルなのだ。人間失格で太宰治が罪と罰を同義語と語ったのと同じかもしれない。今日はなかなか有意義だった。

風邪のせいで頭がおかしい。

 

2004.10.16
ネットがどうとか言っていられない状況になった。思いっきり風邪をひいた。
ちなみに、今夜もバイトがある。それを考えると余計に頭痛が酷くなってきた。時間にして約12時間。
病は気からと言うが、私の場合、『気』自体が病んでいるので効果がない。悪寒は酷いし、頭痛は上り調子だし、薬もちっとも効かない。お金がないので病院にも行けない。ちなみに、金があっても病院には行かないが。風邪だと分かっているのに、それを言って貰うためにわざわざ病院に行くのは馬鹿馬鹿しいといつも思ってしまう。いや、そんな事はどうでもいい。

どうして、風邪になると、自分の症状を他人に分かって貰おうと、説明するのだろう。ますます、自分が嫌になるが、変にボーっとしているのでそういう事も考えない。ジャッキー・レヴィンのソロを聴いていると、このまま死んでしまいたくなった。


ちなみに、なんとか昨日あれから(日記を書いた後)料金センターと電話が繋がった。
とりあえず、7月と8月の分を払ってくれとの事だった。もう少し多い気がしたのだけれど、何だかホッとした。もし、そのオペレーターが半年分と言っても私は信じていたと思う。危険だ。ポストを整理しよう。先ずはそこからだ。
何だか、風俗チラシや寿司屋の広告、ピザの注文広告を無差別に入れる奴が憎くて堪らなくなった。でも、そのポスティングも世の中の経済活動の一部に曲りなりとも組み込まれているのだ。世の中は複雑だ。私が料金センターに電話するのもある種の一部なのだ。NTTやら女性オペレーターも一部なのである。そう考えると、私が料金を滞納するのも経済活動の一部なのだ。余りにもひどい場合はスジ者が出てきたりする。それも、多分一部なのだろう。世の中は複雑だ。

 

2004.10.15
ネットが止まって2日目。激しく暇だ。
大袈裟なくらいにネットは私の暇つぶしの一種だったのだと実感した。思えば、家にいる時は絶えずPCの電源がついていたし、PCの前に座るといつも無意識にIEのアイコンをクリックしていたような気がする。

で、それがたった二日無くなっただけで何もやることがなくなるという生活の転換。
その転換をじっくり考えていると、果てしなく憂鬱になった。
思えばインターネットは非常に便利だ。今更誰がなんと言おうとも、便利だ。何でも買える。前にも言ったようにアマゾンは冷蔵庫だって売りそうな勢いだし。
で、それが切断されて、私は先ずCDの通販が出来なくなる。梅田や心斎橋に出かける徒労を考えると、きっとCDもあまり買わなくなるに違いない。(勿論この生活が続けば。)


今日は何をやっていたかと言うと、一日中音楽を聴きながら読書をしていた。恥ずかしながら、私にはそれしか選択肢がない。友達と酒でも飲みに行こうと思い、約束したが勿論今はお金が無く、月末もしくは来月になりそうだ。

でも、まぁ、実を言うと、こっちの方が正常じゃないかという気になってきた。

もともと、ネットなんてしなかったわけだし。
よし、これを良い機会に正常な人間の生活に戻してみようと思った。

とりあえず、お金は払わなければならないので、料金センターに問い合わせをした。朝からずっとかけているのだけれど、一回も繋がらない。全て『只今、大変混雑しおります。もう一度おかけ直し下さい』になった。

世の中には電話回線が混雑するほど、私と同じような人間がいるのだ。多分。
それでもきちんと世の中のシステムが機能していると言う事は、やはり圧倒的多数の人間がまともなのだろう。世界は崩壊なんてしない。

 

2004.10.14                      
ここからの日記は公開されるのかどうかも分からない。
何がどうなったかは、ひたすらシンプルで、料金滞納によりネットが止められた。午前中はなんてことはなく、繋がったが、夜8時ぐらいに急に繋がらなくなった。

変な言い訳になるが、私はポストをあまり見ない。その大半、いや90%ぐらいが意味もないくだらないものだからだ。で、そんなわけでネット料金請求書も一体どの月を払っていて、払っていないのかが区別がつかなくなった。3ヶ月ぐらい滞納したってどうもならない事は知っているので、適当にまとめられた請求書が来るのを待っていた。それが来たのかどうかは不明だが、風俗チラシやピザの広告と一緒に捨ててしまったのかもしれない。これはひょっとして、利用停止ではなく契約解除なのかもしれない。
とりあえず、その会社に連絡してまとまった請求書を送って貰う他ない。

社会人としてあるまじき行為だ。
と、誰かが私に言ってくるような気がしたが、勿論誰も言ってこない。お金を使う計画というのがまるで無いから、こういう事になるのだ。という事を誰かの代わりに自分に言い聞かせた。

私は何にしろ、こういう事がいい加減だ。
私のような人間ばかりだときっと社会なんて成り立たないだろうな、と思う。ネット料金システムを通じてそう思う。世の中は複雑だ。ポストを見ない人間ばかりだとしたら本当に社会が成りたたないような気がする。
世界を崩壊させる方法が分かったような気がした一日だった。

 

2004.10.13                    SOMETIMES I FEEL SO SAD
最近、アマゾンの取り扱う商品が拡大し過ぎている(おもちゃらしい)。そのうち、冷蔵庫とかエアコンとかを売ってそうな勢いだ。あそこまで拡大してどうなるのだろう。五流経済学生の意見としては在庫を抱えすぎて破滅するより、現有戦力でマーケティングして戦うほうが最近の市場には合っているのではないでしょうか。特に日本では。そこは、やはり一流ビジネスマンの方の意見は違うのだろう。もしくは、トップの人間が会社の利益云々よりも、おもちゃ会社と癒着があって、・・・・。といつもながら、捻くれて物事を見てしまう。それにしても、少子化なのにね。
それより、音楽を!

誕生日が過ぎ、一つ歳を重ねた。20歳を超えてから誕生日がどうでもよい事柄に変わってしまい、(20歳までもどうでもよい事柄だったかもしれないが)23歳ともなるとますますピンとこない。嬉しくもないし悲しくもない。
まぁでも、人間が死んだ日を覚えておくより、誕生日の方がまだ素敵な日なのかもしれない。

今日は、久々に大学に行き、人と待ち合わせしていたため外で読書をした。風が強く、それどころではなかったが。
それにしても大学に行くといつも不思議な感覚に捕われる。すれ違う人や、ベンチに腰を下ろし大勢と喋っている人、意味もなく大声で笑っている人、この人達は一体何を考えているのだろう、何に対してそんなに盛り上れる事があるのだろうか、といつも思う。
勿論、軽蔑的な感覚ではなく、ふいと不思議になるのだ。今私とすれ違った二人は恋人なのだろうか、私の前で座って講義を聴いているこの人は今日何をするのだろうか、授業中を見越したとしか思えない携帯の着信音、それはどういった内容なのだろうか、といつも考えてしまう。もしかしたら皆そう思っているのかもしれない。とんでもなく、私が違う人間のような気がしたりするのも皆思っていることなのかもしれない。
そして、こんな大学の風景が全国に何千とあるのだろうか、と思うと気持ち悪くなる。
いつもながら、大学には2時間いるのが限度なので、すぐ帰った。

それより、やっとこさ、相棒が始まった。2時間SPだったのに、次回に続くとは。やってくれるぜ!報道ステーションなんぞどうでも良いから3時間SPにして欲しかった。

 

2004.10.12                   SOMETIMES I FEEL SO HAPPY
というわけで、朝父親が会社に行くのに便乗して、帰ってきた。

阪神電車で、中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』を読みながら帰った。
これはエッセイ集なのだが、非常に面白い。時々噴き出しそうになったりし、その度に、顔を必死に隠し、笑い声を堪えた。
周知の通り、中島らもは尼崎出身で、この本にはその関西の風景が頻繁に出てくる。元町の駅を過ぎる頃、ちょうど元町の中華街の話が出てきたりして、阪神電車の乗車時間に合わせたかのようなペースがやけに感慨深かった。この本って関西人にしか分からないようなものがあるような気がする。

最初私の隣に座ってきたのが、杖をついた老人で、訝しげに私の方を除きこんできた。私は結構派手な格好をしていて(柄シャツにベルボトムという時代を30年ばかり逆行したようなファッション)、それなのに持っている袋の中におばあちゃんから貰った柿が大量に入っているという奇妙な出で立ちだった。その老人は、確か三宮辺りで降りたのだが、降り際も私の方を怪訝そうに睨み降りて行った。(勿論、私の自意識過剰ではない)今思えばウォークマンの音が漏れていたのかもしれない。

とりあえず、私としてはその見知らぬ老人臭というものが、やたらと私の気分を悪化させたので、降車した時は有難かった。
すると、今度は結構美人な何処かの新入社員みたいな女性が隣に座った。なんとも救われる気分だったのはほんの10秒間ぐらいで、その人の香水で今度は気が狂いそうになった。

 

2004.10.11                     幸福のすみか
今日は、一日中ダラダラと過ごそうと思ったが、稲刈りの手伝いをした。
久々に手伝ったので、何だかおじいちゃん、おばあちゃんに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。少ししか手伝わなかったのだが、籾摺り機の前でかなり悪戦苦闘した。これが、かなりはしかい(チクチク痒くなること)のだ。

実家に帰ると、決まって就職の話になる。それは承知の覚悟でいつも実家に帰るわけなのだが、おばあちゃんに『夢にまで見る』と言われ、かなり落ち込んだ。私はおじいちゃん、おばあちゃん子だったため、彼等の不安を聞くと、私にも良心があったのかという驚きと同時に胸が痛くなるのだった。頑張ろうとは思う一方、私の中の普遍的なめんどくさがり屋と言う意識が邪魔をしてどうも・・・。いやいや、頑張ろう。

母親は、(私にとっては従姉妹にあたる)親戚の結婚のため、お祝いをその家に持って行った。何でも聞くところによると、親戚ならば10万円は包まなければならないと言う。更には肴代(?)と言って、席代をそれとは別に1、2万円包むのが常識らしい。
そして、その10万円だかを、持って行くと、その場でその金額の1割を返してもらえるらしい。10万円だと約1万円。
私はおかんに『だったら最初から9万円でええやん。』と言った。
なんて面倒臭いやり取りなのだろう。結婚なんてたかが紙切れ一枚のために、披露宴だとか、お祝いとか馬鹿馬鹿しすぎる。ただの見世物じゃないか、俺はごめんだね、と言うと、何だか変人を見るかのように、『そういうわけにいかんやろ』と言われた。それは勿論相手側の気持ちもあるということだろう。
なんとも面倒臭い世の中である。

私は幸いにして、まだ結婚式というものに参加したことがない。この年になると、同級生の一人や二人、結婚していてもおかしくはないのだが、招待されていないだけなのか不明なのだが、未だに結婚式に出たことがない。私ぐらいの年だと3万円で良いらしい。それが、嫌だと言っているわけじゃないが、あんなの何が楽しいのだろうと、いつも思う。勿論そんな事を言って、場をシラケさせるわけにはいかないので、きっと『おめでとう』と愛想良く言うことだろう。

だいたいにして、私には他者の幸福(?)をお祝いできる器量もないような気がする。そして、突き詰めれば、結婚が幸福とイコールされるのもおかしな話である。さらに突き詰めれば、誰もが私のような"素っ気無い感慨"を持ち合わせているものだ、と信じている。現にオカンは面倒臭そうだった。

ヤバイ、結構最悪な人間だと言うことを暴露してしまった。

 

2004.10.10                     人間失格
というわけで、今日は実家に帰省した。

私の町は、この10日に2年に1回祭りがある。町内から神輿(みこし)を担ぎ、かなり遠くにある神社に向かうのである。そこに様々な町から神輿が集まる。私も神輿を担がなければならなかったのだけれど、大阪に下宿しているため断っていた。父親は担がなければならなくて、朝から袴を着て、神輿を担ぎに行った。

私は昼ぐらいに着き、親戚も来ていて神社で皆で飯を食うからという事で、無理やり神社に直行させられた。ちょうど、私の町の神輿が真ん中で走り回っていた。(多分これを表す名前があると思うが、私は知らない)
昼に飯を食べ、酒を飲み、再び神輿を町ごとに担ぐ。皆酒を飲んでグデングデンなため、やたらとリスキーな神輿が見れる。怪我も多い。(そのグデングデンな神輿は少し良いと思う。)

ちなみに私は祭りが大嫌いなので、神輿も全く興味がなく一人でシートの上に座り太宰治の『人間失格』を読んでいた。周りの雰囲気、空気から見ればなんとも興醒めだったことだろう。
一人でポツンと座って本を読んでいると、おかんがやって来て『アンタ、こんなとこ来て何しとるん』と言った。私は『本読んどる。祭嫌いやから。それより、眠い。まだ終わらんの?』と言って本を読み続けた。私はバイト明けなのだ。

我ながらかなり最悪だと思うが、こういう盛り上っている場に対して、私はなかなか旨く入り込めない。ノリが違うというか、楽しめるポイントがかなり違うのだ。
ある人が『うちの神輿も綺麗になったな。』『ほんまやな。』と嬉しそうにキンピカの神輿を見ながら話しているのである。私からすれば、こんなものに金を賭けるなよ、と呆れてそういう人々の会話を聞いていた。
他の人は『今日○○さんとこの家、火事やったんやて。』と誰々さんの家の状況をワイドショー・ネタでもあるかのように、話している。(同級生の家だった)
私からすれば、祭に嫌々連れてこられて『人間失格』を読んでいる者も、他人の不幸をここぞとばかりにベラベラと話し回る者も同じようなものだと思う。

父親は、同級生と再会し話をしていた。そして私が傍を通りすぎ、誰だか分からないその人に『こんにちわ〜』とかなり愛想良く挨拶をする。その後、決まって就職がどうだとかの話になったのは想像に難しくない。そういう誰だか分からない人間に対して愛想良く挨拶していると、『人間失格』の主人公の道化と重ね合わせてしまうのだった。

 

2004.10.9                           無題
やばいくらいに日記が溜まってしまった。一応8日以前は書いていたのだけれどUPするのを忘れてしまっていた模様。

バイト中、バイトの人が『○○さん、今週は何やっていました?』(その人とは毎週1回だけ入る)と毎度同じくな会話をした。
私は『うーん、今週は何も特にやっとらんわ。いつもと同じ、読書と音楽を聴いていただけやわ。』と言って、しばらく考えてみた。そして思いついたように『そういえば、バイト以外人と喋ってないわ。』と言った。
つまり、バイトは金、土の夜中だけしか入っていないので、ほとんど人と会話をしていないことになる。

その人は次の日曜と月曜に用事が入っていないらしく、どうしようかと悩んでいた。面白いことに私は逆に、人との用事があると、どうしようと悩んでしまう。

 

2004.10.8                           無題
ラテン・プレイボーイズは本当に素敵です。というわけで、今日はロス・ロボスもずっと聴いていた。
『JUST ANOTHER BAND FROM〜』ベスト+未発表曲集。やっぱりこの人達も最高だ。ラ・バンバなんてそれこそ隠れてしまうぐらい全曲際立っている。現代のザ・バンドとも言えるようなしっかりとしたルーツ・ミュージック。現代の中でも最も素敵なバンドなのではないでしょうか。
で、そのアルバムの中にマーヴィン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』が入っている。そのカヴァーがこれまた良くて、現在約1年ぶりにマーヴィン・ゲイを聴いている。
なんか、変な繋がりだけど、こういうのって凄く楽しい。

どうやら、観測史上最大の台風が接近しているようだ。今年は一体何回この『観測史上最大の』を聞いたことだろう。そういう謳い文句ほど怪しいものはない。今年は台風に限って言えば、『全米NO1大ヒット映画』と同じようなものがある。不謹慎覚悟で言うと、今年日本にとって最も多くのリピーターが台風なのである。結構なことだ。
そういえば、世界で台風を号扱いしているのは日本だけだそうだ。アメリカでは周知の通り、なんだかセンスのない名前が一般的で、中国も台湾も独自の名前があって、その名前を何回も繰り返し使っていってるそうな。
そっちの方が、なんだかゴジラがやって来るみたいな危機感があって良い。日本もこの際、台風に名前をつけて欲しい。絶対そっちのほうが楽しいに決まっている。不謹慎でごめんなさい。

ここからは、現在(12日)書いています。
何でも、関東ではかなりの死者が出ているようで、謹んでご冥福お祈りします。

 

2004.10.7                         無題
今日は新米でご飯を炊き、なんちゃって鍋をした。もちろん、一人で。私はよく一人で鍋をする。手軽だし、何でも放り込める感覚が単純に楽だ。

最近、やたらと読んでいない本だけが増えていく。CDと違って安いので次々と買ってしまう。これは危険だ。読むペースも最近は落ちてきて、今日もかなりの時間をかけて1冊読み終えた。来週は読書週間。

 

2004.10.6                       ケンシロウに憧れ続けて
先ず昨日の日記で訂正して置きたい個所がある。ファッション・センスの欠片もない街と言ったが、住むならこういうファッションや街名のブランド性と無関係な街が一番だ。あ、それと、自転車で移動できる街ね。心斎橋や梅田とかに住みたいって言う奴は頭がおかしいと思う。
昨日の婦人靴屋の前を今日も通ったが、中からは普通の大阪のおばはんが出てきて、それこそ大阪のおばはんらしく近所のおばはんと立ち話をしていた。昨日見たのは錯覚だったのだろうか。

今日は、真昼間から酒を飲んで、いわゆる駄目駄目人間を演じ続けた。
3時頃そのまま寝てしまい、夢の中で怪物と闘った。起きたら夜の10時だった。

マンションのポストを見てみると(私は1週間に1回ぐらいしか見ない)、聖書が1冊入っていた。これは一体何なのだろうと思ってしばらく考えこんでしまった。
そういえば、何週間か前に、どこかの人がインターホンで話し掛けてきたのだった。彼は一通り自分を紹介してから、最近はレイプ事件やひったくりが多いですね、殺人事件も多発しています、と語り始めて、少しお話させて貰っていいでしょうか?と私に聞いた。
普通の人なら『結構です』と一言言って切ると思うんだけれど、その時私は、何だか1件1件回ってこんな話をしなければならない人を同情してしまったのだった。
NHKの受信料徴収の人間には全く同情なんかしないけれど、この意味不明な怪しい人間を顔も見ずに、同情してしまい、『構いませんよ。』と言った。
『ありがとうございます』とその人は言って、2、3分神様について語って、『本を1冊入れておいて良いでしょうか?』と聞いてきた。この時私はこの人に対して、半端じゃないほど同情心を抱いていたので『構いませんよ』と言った。その人は『ありがとうございます』と言って帰って行った。

それがこの本である。それ以来すっかり忘れていてポストの中に埋まっていたのを思い出すと、再び可哀相になってちょっとだけ読んでみた。
厳密に言うと聖書ではなかった。目次をちらっと見たが、『あなたにも幸福な将来があります』、『まことの神とはだれですか』『今は終わりの日です!』などとあって、少し笑ってしまった。
なんて押し付けがましい本だ、と。

なんだか本気であの人に同情してしまった。

 

2004.10.5                        村上春樹の功罪
今日は雨でした。雨の日は外に出ないという掟が私の中にあったりするのだけれど、何故か今日は外に出なければ、という思いがヒシヒシと感じられたので、出掛けた。

要は外に出掛けたのだ。
とりあえずCDか本を買いに行こうと思って駅に向かったのだけれど、梅田まで20分も電車に乗らねばならないといけないということをふと思い出して、コンビニに寄ってパンと珈琲を買って家に帰った。

近所の、お世辞にも商売繁盛しているとは言い難い婦人靴屋の店員が美人だった。
今時の靴屋は、堀江辺りに店を構えて、若者相手に靴を売っているのに、こんなファッション・センスの欠片もない、しがない街の靴屋で、店の外をひたむきに(?)掃除しているのだ。
泣かせる話だ。いろいろと想像してしまう。
この人は、外の掃除をし、店の前を慌ただしく行き交う見知らぬ人間を眺めながら、自分の人生について考えているに違いない。
『私は何のために生まれてきたのでしょう』と。泣かせる話だ。
これが、コンビニや喫茶店だと全然泣けない。靴屋ってのが重要なポイントなのだ。

阿呆らしくなってきたので、これぐらいにして。今日はソフツの紙ジャケがユニオンから届く。
いやぁ、楽しみだな。今日は多分更新します。

 

2004.10.4                        グルメ番組の功罪
昨日の日記もまずいなぁ、と思いつつ現在深夜4時、バイトから帰ってきて珈琲を、と思ったがお湯が途中で無くなった。一体この後私はこの中途半端な珈琲をどうすれば良いのだろうか。2cmほど入れられた珈琲ほど悲壮感が漂ったものはない。とりあえず、お湯が沸けるまで放置した。そして、2cm入れられた冷たい珈琲の上にお湯を注いだ。
そういえば、井川がノーヒット・ノーランを達成したらしい。こういう日に限って見ていない。(と思ったら今日は中継が無かったようだ)野球もほとんど終わって、ますますテレビを見る機会が少なくなった。最近、テレビを見ている時間が非常に勿体ない気がしてならない。(前にも言ったかも)特にお笑い系のヴァラエティやグルメ番組。時間の無駄遣いの極めつけだと思う。

例えば、どっちの料理ショーみたいなくだらない番組を毎週嬉々として見ている奴とは絶対に友達になれないと思う。だいたいそう言う奴に限って、高そうなレストランで出される食べ物を無条件に旨いと言う奴なのだ。あのビストロスマップという番組も同様だ。あんな本当にきゃつらが作ったかどうかも分からないような料理をただ偉そうに食べる番組って何がやりたいのか良く分からない。食わず嫌いにしたって、お前の嫌いな食べ物なんて知ったこっちゃないよ、といつも思う。そして、ブチっとテレビを切る。

私は一体何様なのだろう。そして、何の話をしていたっけ?
嗚呼、テレビを見ないという話だった。

テレビは見るまいと思ってたら、『相棒』(3rd Season)が始まるじゃないか(10月13日水曜スタート)。
この相棒は、刑事貴族からの俳優さんが沢山出演していて見逃せない。私は刑事貴族とあぶない刑事に対しては思い入れが半端じゃないのだ。それにしても、水谷豊は格好良いよね。

 

2004.10.3                      IT HAS NOT TAKEN LONG
昨日の日記はまずいなぁ、と思いつつ現在深夜1時、相変わらず、珈琲を飲みながら読書。
キャバレー・ヴォルテールの『LIVE AT THE YMCA』、ニコの『THE END』を続けて聴いた。このままでは、次はクラウス・シュルツェの『イルリヒト』になりそうだ。いや、案外ブラームスも良いかもしれない。灰野敬ニでもいいな。

こういう一般的に暗いと形容される音楽を聴いていても、ちっとも暗くならないほど、現在の私はナチュラル・ハイだ。例え目の前に田原総一郎が出現して『ちょっと待って、○○さん、どう思う?』と政治の話題を振られても『どうでもいい』と言えそうなくらいにナチュラル・ハイだ。セシリア・チャンが出現したならば『世の中には君ほどどうでも良くない存在はないよ』と広東語で言えそうなくらいにナチュラル・ハイだ。相変わらず比喩がよくわからないが、そんなこともどうでも良いさ。

私はいわゆる暗い音楽フェチでした。1年前はチベット仏教っぽいスウェーデンのゴシック・バンド等を自己満足げに聴いていたけれど、最近は何を聴いても暗いと感じるようになってしまった。または、何を聴いても能天気な音楽だなとも思うようになった。非常に便利な聴覚に進化しつつあるようだ。だから、今は何を聴いてもナチュラル・ハイ。久々に誰かに電話してみようかな、と思ったが、電話をかける相手が見つからず現実に連れ戻された。読書に戻ろう。

 

2004.10.2                          無用の用
周知の通り、イチローがシスラーの持つ年間最多安打数を更新した。改めて凄い人だな、と思った。イチローは凄い事を当たり前といった顔でこなすのが凄い。ヒットを打ったらもう少し嬉しそうな顔をしたらどう?と言いたくなる。私とは対極に位置する人間だ。
試合後、イチローはインタビューで『人生の中で最も輝いていた瞬間』、『次も僕が記録を破りたい』と言った。この発言を聞いた大多数の人間が恐らく憂鬱になったことだろう。何万人の人を感動させられる人物と、数少ない周りの人間を失望させることに長けた人物。おっと、比べること自体が失礼だ。失敬。
何はともあれ、おめでとうございます。今年の野球界において、一番良い話題だったと思う。

最近危険な兆候が再び私に現れ始めている。
人との会話がメンドクサイ。鬱病の症状としてはこれに当てはまるのだが、実際は意味合いが少し違って、私の場合鬱病ではない。(自覚症状がない鬱病初期状態でもない)
簡単に言うと、リモコンがあれば会話を早送りしたくなるわけなのだ。オゴリでも何でもなくて、相手の言いたいことがなんとなく分かった後、『あー分かった。その話はもういいよ』と言いたくなる。これって多分もの凄く人に嫌われる行為だと思われるので勿論言わない。と言うより、コミュニケーション違反みたいなものだ。けど、言えたら楽だな、と心底思う。
別の視点で言えば、『この人は一体何を考えているのだろう』という人は勿論そう思わなくて非常に魅力的なわけなのだけれど、、要は私の周りにそう言った人間があまりいないという事。知り合いがこのHPを見ていたらどうなるのだろう、と少し今思ったけれど、まぁ良い。私は時々人に対してサディスティックになるが、今がその時なのだろう。心底性格が最悪だと思う。(いや、人は誰だってサディスティックになる瞬間があるはずだ。それが発展(と言うより悪化)すると宅間とかみたいになるのだと思う。私の"早送り"なんて可愛いものだ。)
さらに客観的な視点で見れば、他の人から見たら私はどう映るのだろう、と。その答えは私が一番良く知っているわけで、多分私が他の人に対して考えている事と同じだろう。まぁ、要は『50歩100歩』。


人との会話が面倒くさいって、何だか引き篭もりじゃないか。
とりあえず、無用の用(何の役にも立ちそうにもないことが、実は役に立つということ)である事を願って寝ます。おやすみなさい。

 

2004.10.1                           ドラゴンズ優勝 
気がつけば、10月だ。この前も気がつけば9月と言ったような気がする。そして、その前も気がつけば8月と言ったと思う。6月は、もう1年も半年過ぎたと言った気がする。そう言葉にしたのが昨日のようで、まるで私の一月は一日しかなく、機械による圧縮を受けたかのような感覚がある。まぁ、過去とはそういうものかもしれない。

10月はもちろん秋という季節に属しているが、秋ってどこからどこまでが秋なのか、実に微妙だ。そう考えると春も微妙だ。そんな事はどうでもいい。こんなことを書くから9月は日記が長くなったのだった。反省しよう。
いや、圧縮されたかのような過去だからこそ、一日の日記はちゃんと書こうと思う。3日置き、あるいは1週間毎の日記なんてそれこそ圧縮的だ。もちろん、日記を書いた日なんてあまりないと思う。適当に思ったことを書いている。一日の出来事を書くだけならば、2行ほどで終わりそうだ。そして、そんな日記を眺めていると多分憂鬱になりそうな気がする。だって今日は昼間ずっと寝ていたし・・・。

イチローのヒット数もあと1本。中日は負けたらしいけど優勝したようだ。そういえば、中日関係者は、イチローの年間257ヒット達成と中日優勝が重なるのを危惧していたらしい。思い返せば、前回の優勝の折も何かの事故(多分、原発関連だったと思う)と重なり、全てではないがスポーツ紙の一面を奪われたことがある。ちなみに、当時の星野監督は『野球が今までどれだけ貢献してきたんだ!』と激怒した。確か、長嶋監督が巨人の監督に初めて就いて、思うような結果が残せず事実上の解任となった年も中日が優勝した(違ってたらごめんなさい)。長嶋解任は不当だとして、読売新聞不買運動が起こった年である。その時も、長嶋解任のニュースがスポーツ紙の一面を独占した。

なんて可哀相な球団なんだ、と思ったけれど、今年はイチローの257安打とバッティングせずに済んだ。心底良かったな、と思う(阪神ファンですが)。おめでとうございます。
今年の中日ドラゴンズは思えば、全てにおいて地味だった。リーグ再編問題の影に隠れて中日の独走態勢が整い、打撃で魅了するチームでもなく、落合監督の采配にしろ、投手中心で地味だった。名古屋ではあまり人気がない監督でもある(巨人に行ったから)。けれど、私は投手中心のチーム作りが好きだ。だから、巨人のチーム作りは大嫌い。本当にチーム一丸って感じで素晴らしいと思う。来年の阪神はもちろん、チーム色も出しつつ、落合ドラゴンズを見習って欲しい。野球は投手から、だ。この日記に変えて忘れ去られたbassballのコーナーの〆とします。

 

 

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