DIARY 

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2004.9.30             スマイル(^^)
本日は、私の数多い嫌いな事のうちの一つを紹介する。それは、消耗品だ。分かりやすく言い換えるならば、消耗品を使い終わり新たに買わなければいけない状態を差す。面倒なことは大嫌いと公言して憚らない私だが、これほど面倒なことはないと思っている。ティッシュ・ペーパーが切れたって残りのトイレット・ペーパーを代用するし、台所の洗剤が切れても水で薄めて使う。一時期、部屋の電球が切れた時も、しばらく放置していたほどだ。無くなるものが嫌いな性分のせいもある。だから、レコードの針を変えるのも実は大嫌いだし、CDが耐久年数20年〜30年だと言われ始めた時も自殺したくなった。
備えあれば憂いなし、という言葉は私の対極にある。

何故こんなくだらないことを書いているのかと言えば、書く内容がないという要素も若干あるのだが、ティッシュ・ペーパーが切れたことが最大の原因である。


ところで、『スマイル』が届いた。私はビーチ・ボーイズをそれほど深く愛しているとは言えないけれど、さすがにこの『スマイル』のことぐらいなら知っている。『ペットサウンズ』を録音した後に、ブライアン・ウィルソンが作り上げようとしていた『スマイル』が彼の病状(ドラッグ?)により、中止せざる得ない状況になってしまい、現在では未完の最高傑作とまで言われるようになった幻のアルバムだ。ファンは、未完であるが故に、想像することで自分なりの『スマイル』を完成させようとした。
それが、今回どういうわけか、正式にリリースされた。これを事件と呼ばずして何と言おう。

こんな宣伝をする気は毛頭ないのだけれど、これは本当に良かったのだろうか。ファンの中にある賛否両論も理解できる。
ブライアン・ウィルソンの気持ちとしては、決着という感じなのだろうか。ファンからすればモヤモヤすると思う。

皮肉的な見解も若干持ち合わせて発売を待っていたが、いざ聴いてみるとやっぱり引き込まれる。いらん考えはなくした方が良さそうだ。

 

2004.9.29           お茶は哀しい
昨日買ったジェリー・マリガンのナイト・ライツばかりを聴いている。あれを聴こう、これを聴こうと思って音楽を聴くのも楽しいが、ひたすら同じ音をリピートし続けるのも悪くはない。というより、昔はそうだったはずだ。
大学生になりアルバイトを始め、お金が自由に使えるようになってからは、一枚のアルバムを続けて聴くことはなくなったように思う。そして、飽きるスピードも速くなった。
つまりは、私の音楽を聴くペースはお茶の葉を変えるペースと同じなのだ。1回目に煎れるお茶は新鮮で渋くて旨い。2回目もまぁまぁ濃い。3回目になるとお湯の割合の方が高い。そして、お茶の葉を変える。こんな感じだ。これってなんだか、凄く失礼な気がしてきた。お茶の葉は5回まで粘ろうと思う。

それにしても、このジェリー・マリガンはお薦め。チェット・ベイカーが好きなら必ずやハマるでしょう。ジャケットも遠くから 見れば美しいニューヨークの夜景のように見えるが、近くから見ると曖昧な線と色だけで表現されている。非常に秀逸なジャケット。(掲示板に貼り付けてみました。)
ブライアン・ウィルソンのスマイルが届くまでは、このアルバム以外聴かない。
こんなところで、宣言してもひたすら無意味だけれど、なんだかそんな気分だ。

 

2004.9.28         楽しみにしていたのに、忘れる
結局、家に泊まり、今朝2番目ぐらいの高速バスで大阪に帰ってきた。大阪駅に着いた瞬間に、耳がおかしくなって、現在も治らない。

梅田のスターバックスのテラスで珈琲を飲んでいたのだけれど、隣に座っていた2人組みの話がやたらと気になった。何やら、ジャズ・ミュージシャンらしく、最近のジャズ・シーンがどうとか、レコーディングがどうの、誰某のドラムが下手だとか、ジミー・クリスがどうのこうのと共通語で語っていて、そればかりに気を取られ、本が読めなかった。名前を聞いてみようと思ったけど、知らなかったらヤバイと思って聞けなかった。それにその後の会話を想像すると自分が嫌になりそうな気がした。そして、すぐ下にあるタワレコで、ジェリー・マリガンのナイト・ライツを買って帰った。

・・・・・肝心の『SMILE』を買うのを、すっかり忘れていた。結局、アマゾンになってしまった。

 

2004.9.27         犬も元気そうだった。
面接が地元であったので1ヶ月ぶりに帰った。

相変わらず、つまらない町だ。自転車で移動できないって致命的だと思う。特に暇を潰せる場所もないので、必然的に家に篭もることになる。友達も地元にはほとんどいないので、地元ではおじいちゃんの家と実家の往復だけだ。

面接は、次回もう一回来て下さいとの事で意外とすんなり進んでいる。接客は大好きです、などと大嘘をカマし、人と触れ合う楽しさについて語った。地域密着のマーケティングについても語った。もちろん、全くのデタラメで接客は大嫌いだし、人と触れ合う楽しさなんて私からは逆立ちしたって出てこない。面接は半分ぐらい嘘で塗り固めた。なんだか、詐欺師になった気分だ。

オカン(市役所に勤めている)が言っていたが、市役所の新卒は結構ひどいらしい。やたらと高学歴の人間が受け、もちろん口が達者な人間ばかりで、いざ働いてみると『残業は一切しません』とか言うらしい。それはどうでもよいのだけれど、面接で繰り広げられる演説とのギャップが凄いようだ。面接官は心理学者みたいな人間を連れてきたほうが良いと思う。
きっと、田中康夫みたいな口達者な人間ばかりが受けているのだと思う。で、本性はこれと言って普通で何の面白みのない人間なのだろうな、と偏見的に想像する。

まぁ、市役所で働いている人間を想像してもあまり楽しくないのは確かだ。オカンを見ていてもそう思う。それより、自分のことだ。なんとなく、受かりそうな勢い(もちろんウノボレでなく)なのでヤバい。もう単位はほとんどないと言うと、『それではもう働けるわけですね』と言われた。このまま行けば、それこそ市役所を志望する人間と大差ない。差は学歴ぐらいだ。せめて、面接ではある程度本音を語りたい。それで、受かるのが一番だと思う。嗚呼、人生の分かれ道・・・地元か、都会か。

家の庭で煙草を吸っていると、蛇が近くでニョロニョロと動いていて、こちらが蛇を凝視すると蛇が固まった。人間に睨まれた蛇という図はなかなか良い。蛇に睨まれた蛙なんかよりずっと現実的だ。だいたい蛇に睨まれた蛙なんて見たことがない。気にせず煙草を吸っていると蛇が『キィ、キィ』と声を出した。『蛇って鳴くん?』とオカンに聞くと「そんなん、知らん」と言われた。

 

2004.9.26        ナッシュビル・スカイラインのディランの声
最近、悩んでいる。

パスタの茹で時間なんぞ、適当ですよね?普通。
私は、カップヌードルもUFOも何でもそうなのだが、3分であろうと、5分だろうと時間を計らない。全て適当だ。ちなみに、きっちり時間を計ろうとしても、計れた試しがない。

説明しよう。例えば、デジタルの時計で9時30分だとする。そこから3分で9時33分に完了すると考える。しかし、9時30分というのは、9時30分59秒かもしれないわけで、信用できないわけである。
ちなみに、秒針までわざわざ見ないので、だんだんとめんどくさくなり、適当になった、というのが大よその私の経緯である。というより、3分間にしろ5分にしろ、時計と睨めっこする時間は実に不要だと思う。

今までは、適当に時間を計っていても、大体失敗はしなかったのだが、最近悉く狂っている。今日もパスタを茹で、『自分時間7分』で茹で上げ、食べた。恐ろしく硬かった。

最近、何かが狂ってきている。

そういえば、今朝もバイト中に『○○さんは、「わからんけど」「どうでもええけど」「知らんけど」が口癖ですね』というような事を言われた。確かに、私の喋る言葉の語尾には必ず「ようわからんけど」「どうでもええけど」「知らんけど」が付く。

『マスターベーションを毎日やっていると、前立腺癌予防になるんやって。どうでもええけど。』
こんな感じです。(ちなみに、これは本当らしいです)

自分の適当さがコミュニケーションにまで侵食している。

 

2004.9.25       ろくでなし集団=ロッターズ・クラブ
というわけで(何が、というわけか相変わらずわからないけれど)ハットフィールドばかり聴いている。

人間というのは不思議なものだ。憂鬱なまま一日が終わっても、きちんと一度寝れば大抵忘れている。(鬱病持ちの人は、朝から憂鬱が始まり、夜には躁になるものである。更に不眠症。)忘れてはいないが、忘れさせようと本能がそう仕向け、睡眠がさらに曖昧にする。最近よく考えることは、神様は鬱病対策のために睡眠を人間に与えたのではないか、と。アダムとイヴが手に取った禁断の果実は、知識の実ならぬ、憂鬱の実なのかもしれない。怒った神は彼等を楽園から追放し、お情けで『睡眠』を与えた。

ハットフィールド〜の音楽を聴いていると、まるで自分の人生がとても素敵なもののような錯覚を起こさせる。心地の良い風が通り過ぎるような疾走感。エリシオンで遊ぶニンフのような感じ。

これで、2ndのタイトルがロッターズ・クラブ(=ろくでなし倶楽部)。ロクデナシとは素敵なことなのだ。

 

2004.9.24      世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
大学の友達から久々に連絡があり嬉しかった。

何でも、会社を辞めたそうだ。さらに聞いた話では、別の友達も辞めたらしい。
ものの本によると、最近の雇用と言うのは、消費と同じで2極化を辿っているらしい。つまり、『スペシャリスト』と『変えの利く使い捨て』。(ちなみに、消費は、贅沢嗜好と安価嗜好)

もちろん、私は『変えの利く使い捨て労働者』が当てはまる。ゲーテの格言に当てはめると『灰色の馬』。

おかげで、来年の4月というのがまるで想像できない。2005年4月にはブラックホールが待ち受けているみたいだ。2005年3月31日に死ぬのも悪くないのだが、99%の確率で死ねないのは分かっている。(残り1%は交通事故か病死ぐらいだろう。)

解決策を冷静に考えてみた。
その1:スペシャリストというやつになろうぜ!
その2:使い捨て労働市場でプレッシャーと激務に耐える

先ずその1は、残りの数ヶ月で何らかをマスターして、そこから就職活動をしないといけなくなるわけで、2005年4月という時間制限がある限り、不可能に近いと思われる。
その2は、他の人と同じ道を辿る気がする。

IT'S TOO LATE!

私はこの4年間、本を読んで、音楽を聴いていただけのような気がしてならない。(気がするのではなく、実際そう)反面教師という職業があれば、係長ぐらいに就ける気がしてきた。

反面教師団体は、毎週『反面教師』という雑誌を作る。そこに、反面教師的人生をドキュメンタリー・タッチで書くのだ。時々その人の家族がコメントを送る。
『反面教師達に投資した金額』をも分かりやすくグラフ化する。売れなければ、非営利団体、NGO,NPOになれるよう申請してもよい。

なんだか、本当に死にたくなってきたぜ!

 

2004.9.23         SHARE IT
ユニオンから、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースの紙ジャケ2枚と、ギルガメッシュの紙ジャケが届いた。ちなみに、プラケでは全部持っている。

ハットフィールドは個人的に大愛聴盤で、更にジャケットも素晴らしく、紙ジャケは絶対に買うと決めていた。内容はと言うと、聴けば分かるというやつで、これが嫌いと言う人は余程の天邪鬼か、難聴かのどちらかだと思う。言い過ぎかもしれないけれど、それほど素晴らしい名盤なので、これを機会に是非!

と、言おうと思っていたのだけれど、リマスターじゃなかった。それで、2548円はボッタクリもイイトコだと思うのですが。

 

2004.9.22        TAKE IT EASY
本日は、美容院に行ったような気がする。綺麗な女の人が、シャンプーをやってくれないと困る。男では困るのだ。
ただでさえ、あの仰向けになってシャンプーをするのが嫌なのに。

そういえば、来週の月曜には面接がある。資料を見てみると、『英語ができる人』と書いてある。というわけで、受けずに結果が判明した。
落ちた、と分かっていれば気が楽だ。それに、特にやりたい仕事というわけでもない。

なんとか、適当に乗り切ろう。

 

2004.9.21        私のためには鐘は鳴らない
一日中読書をしていた。つまり、一日中引き篭もっていたと変換されるような気がする。

読書の時間というのは、時間の無駄遣いなのか、有効に使っているのか、どちらなのだろう。多分、前者のような気がする。

 

2004.9.20       誰がために鐘は鳴る
本を読んでいると、時間が経つのが異常に早い。いつの間にか、もう真っ暗。ちなみに、今日私が時間というのを意識したのは、本を読む前(昼)と、読み終えた後(夜)だけだ。何だか、何かに置いていかれた気分。

↑タイトルのヘミングウェイは読んでいなくて、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだ。(ノルウェイの森に影響を受けたから、という理由ではない) これが結構面白かった。特にギャツビーの登場シーンが妙に印象に残った。

私にとって、本を読む時の最大の難関が最初の10ページだ。この最初の部分を乗り越えるとスイスイ読めるのだけれど、最初の10ページで想像力を喚起させられなかった本は、いつも挫折の運命を辿ってきた。
そして、無理やり読まされた本は、当然のことながら読めない。例えば、大学の外国文学の授業で課題として読まされたスタンダールの『赤と黒』。同じく課題か何かで買ったドストエフスキーの『罪と罰』。
今更ながら、課題などで読ませようとする教授、教諭の頭はおかしいと思う。これで、私の人生の中で『罪と罰』が消え去ったらどうしてくれるんだ、と言いたい。もし違った形で『罪と罰』に出会って感動したのなら、かなり不幸である。
いや、今から読めばいいだけの話なんだけど。(というより、そういう授業を履修する奴がおかしいだけの話)

本日の日記の趣旨としては、やっぱり人生好きなことをやったほうが良い、という事である。
しかし、自分の好きなことだけをやっていける世の中ではない。これはかなり人生にとって難題である。(戦争中の国に比べれば贅沢な難題ではあるが)私は、仕事は仕事で割り切り、残りの時間を趣味に費やすといったことが出来る起用さは持ち合わせていない。そして、自分の好きなことをやり続ける才能もない。多くの人が多分これと同じだと思う。
この難題を僅か22年で解け、と言うのはあまりに酷な話だ。

『灰色の馬が百頭寄っても、ただ一頭の白馬にもならぬ』という言葉を噛み締めながら、風呂に入ります。

 

2004.9.19         MEN OF GOOD FORTUNE
サンプロまでもが、2週に渡ってプロ野球問題を取り上げている。

日曜というのはいつも私を悩ませる。外に出ても人は多いし、家の中にいても、今日は日曜だぞ、と頭の中から警告を受ける。結局、本屋と古本屋に行った。(私を連れ出してくれる誰かとは、結局私でしかないのだ!)ちなみに、お前の生活は毎日が日曜じゃねーか、という意見は受け付けない。

本屋と古本屋なんぞ、日曜でなくとも行ける。しかし、本屋と古本屋とレコード店と珈琲店しか私の行動範囲はない。ますます、日曜が嫌になる。

そして、今週間分の本をと、4冊買った。

 

2004.9.18          野球のない週末とは言っても・・

『私を支配しようと手を差し出す人は誰であれ強奪者か暴君だ。宣言しよう、奴は敵である』


私がバイトをしているコンビニ店の店長をどん底に突き落としてやりたい気分。要約すると、私は店長が嫌いなのだ。(8月から店長が交代した。)

どん底に突き落としてやりたい、とは言っても私にはそんな権威は持ち合わせてはいないし、力もない。
ちなみに理由として、その店長が入れなくなったシフトに、私の合意を得ず、勝手にそのシフトに私の名前を入れるというファシスト的な行為に対して私の怒りは最高潮なのである。

俺もストを支持するぞ、古田!

 

2004.9.17          無題
周知の通り、プロ野球がストに突入した。個人的には、複雑な心境で、プロ野球はやはり好きだけれど、最近のこういうくだらない事が重なり選手会も経営陣も支持できない。

大多数の人間にとっては、プロ野球がストになろうと知ったこっちゃない。ほとんどの人間が野次馬気分だと思う。毎日野球を欠かさず見ている人間なんかほとんどいないはずだ。テレビの街頭インタビューで『2リーグがいいです。古田さん頑張れ』と言っている人もきっと同じだろう。で、そういう事実を覆い隠して自分を中心に世界が回っていると思っているような経営者は馬鹿だと思うし、選手会も同様だ。

今までだって、契約交渉の折に年俸の引き上げを必死になって行う選手を見ていると、こういうのが子供に夢を売る姿なのか、と苛立った。それも2億、3億貰っている人間のそういう姿を見ていると余計阿呆らしくなってくる。だから、選手会が『ファンのため』と言う言葉はいつも胡散臭く聞こえたし、今更ながら、個人的にどちらも支持できず、困ってます。世の中、金の世です。

そういえば、私が住んでいるこの街も現在合併問題の真っ只中。毎日家の横を『住民投票は9月19日です』と車が通り、正直うるさい。駅前では、プラカードを掲げた住民が小規模ながら闊歩している。さらに、街頭演説も行われ、『こんにちわ。日本共産党です』と合併反対の演説を行っている。もちろん、野次馬はいない。悲惨なり、共産党。
何週間か前は、長野県知事の田中康夫も演説にやって来た。かなり聴きたかったのだけれど、寝ていた。この街は60年代末期の様相を呈している(知らないけど)。小規模に。ヘルメットを着用し『革命だー』と言うような奴は一人もいないが。

 

2004.9.16          狭き門
ところで、大学の成績だが奇跡的にほとんどの単位が取れていた。大学は特に真面目に行ったわけではなかったと思う。やはり成績表には良と可が占めていて、私の不真面目さを如実と現していた。優なんてほとんどない。
だいたい、可と優の違いがよくわからない。単位が取れていたら何でも構わないという私にとってはどうだっていい事だったし、大概、優というのは頭の良さではなくどれだけ真面目に授業を受けていたかどうか、それだけだと思っていた。そして、いつもそれを誰かに言うのだが、いつもひたすら虚しさだけが残った。

後期はあまり学校に行かずにすむ、と思うと嬉しくなってくる。というわけで、後期はひたすら読書をしようと思う。ちょっとだけ就活して。

私の生活は大概そんなもので、救いのないほど人気がなく、救いのないほど不真面目だ。今まで何かに必死になったことなどないし、いつも適当に何かを選択してきたように思う。そして、多分あまり苦労らしい苦労もしてこなかったし、大概うまくいってきたように思う。人に迷惑をかけることはあっても、大概は記憶とともに流れた。そして、いつも虚しさだけはあったが、それは私の不真面目な生活の代償だと思えば、それも受け入れられた。

と、まぁ、ニヒリズム的に書いてみた。大概の安っぽい展開の小説ならば、多分この後に何か人生の壁か、青春時代を彩る淡い恋物語というやつにブツかるはずなのですが、どうなんでしょう?

ちなみに、今日も2冊本を読んだ。こう毎日毎日本ばかり読んでいると、登場人物がごっちゃ混ぜになり、性格、またはその人の哲学のようなものまで、ごちゃ混ぜになり、いささか混乱する。そしてこのペース配分は読書するにおいて適当でないことが嫌というほどわかった。
しかし、珈琲を飲みながら読書というのが習慣になり、そのせいか眠れない。現在17日午前3時。結局、長らく放置されていたジッドの『狭き門』を手に取ることとなる。。。

 

2004.9.15         阿鼻叫喚
そういえば、今日は去年の阪神タイガースのセ・リーグ優勝日だ。野球は一応見ているのだけれど、これっぽっちも面白くなく(タイガースが優勝争いをしていないからという理由ではなく)、このサイトに書いていた野球日記という今思えば非常に阿呆らしいコンテンツもすっかり影を潜め、多分このまま管理人によって消去される運命を辿ることだろうと思う。あの時私はどんな思いで野球日記などというものを作成したのか、時々恥ずかしくもあり、またその恥ずかしさがこのサイトの勲章でもあるかのように感じられ、未だ消されずに残っている。(つまり、このサイトは私の恥ずかしさの結晶でもある)

それはサテ置き、昨日買ったCDが結構'アタリ'で、そればかり聴いている。ミシェル・ルグランのルグラン・ジャズ。この作品は、ルグランがハネムーンでアメリカへ行った時、様々なジャズ・メンを集めて録音されたものである(豪華すぎて凄い!)。その中で最もインパクトが強かったのが、初めて聴いたベン・ウェブスターのテナー。強烈だった。フランス人らしいルグランの少し甘ったるいアレンジもあるのだけれど、良かった。

さらに話が変わって。今日も1冊本を読み終えた。最近なんだか生き急いでいる気がしないでもない(普段はそんなに読書はしないので)。最近の日記がやたらと長いのは、ただ単に日々の出来事をダラダラ書いてもおもんないな、と思ったからで、そういった小説の影響を受けて嬉々として書いているわけではない。
最近の日記から私の何がわかるのか、客観的に見てみる。

暇人。

 

2004.9.14        読書後の憂鬱
今日は、大学の前期成績発表日。嫌な気分で目覚め、これまた嫌な気分で学校に行き、嫌な気分で指定された部屋に成績書を受け取りに行く。何やらお高く止まった、お局様的存在であろう女の事務員が、無表情に、見下すかのような表情で『きちんと確認してくださいね』と私に吐き捨てた。
嫌な気分だ。

家に帰ってから、思い出したかのように、それまで放置状態だった村上春樹の『アフターダーク』を読んだ。とりあえず、4時間ぐらいで読み終えた。なんだか、ロールプレイング・ゲームを1日でクリアした時のような気分だ。小説は少しずつ読みたい人なんだけれど、私。

読書中、いつのもように様々な音楽をかける。最初はコーマスの『魂の叫び』をかけるが、なんだか落ち着けなくて、ありきたりにイーノのアンビエント。その次はジョン・グリーヴス。そして、村上春樹を読んでいるならばと、ジャズをかけた。バド・パウエルのシーン・チェンジズ。なんだか、バド・パウエルの声(ピアニストがよく弾きながら発する声)が妙に気になって集中できなかった。

今日は朝から妙に焦っている。

 

2004.9.13        レンタルビデオ返却という憂鬱
今日ついにレンタル・ビデオの返却日がやって来た。セシリア・チャン出演の『星願』の終焉日。
なんと5回見た。そして、5回とも泣いた。
これじゃあ、冬のソナタでヨン様〜とか言っているおばはん等と何ら変わりがないような気がする。どうしよう。

現在マイク・オールドフィールドのハージェスト・リッジを聴いているんだけれど、こういう音楽や映画において心打ち拉がれる感動を味わった後の虚無感は3倍増しである。

私はなんのために生きているのでしょうか、という永遠の迷宮に入り込むわけにはいかないので、とりあえずひたすら虚無感とのバトル。秋だなー。

何週間か前のサンプロで、司会のうじきつよしが民主党代表岡田氏に「政権を取りたい、というモチベーションはどこからやって来るのでしょうか?」という質問をしたのに対し、岡田代表は『若者に夢がないからです』と答えた。

なるほど、確かに夢も希望も金もない。で、そのためにどんな事をやろうとしているのですか?そんな解決策があれば、あんたは神様になれますよ、と。

 

2004.9.12           元ドラマーの憂鬱
私は、踊れない。
音楽を聴いて、踊れない。
だから、クラブにも行ったことがないし、行きたいとも思わない。
ライブに行っても踊れない。(ライブにあまり行かないのは、チケット代金を他のCDに回してしまうから)

だから、踊れない音楽『プログレ』を愛聴していると言えば、そうでもなくて踊る事が嫌いなのだ。

そういえば、私は元ドラマーである。(←の文章が私のドラマーとしての力量を物語っている) しかも、ツーバス(バスドラが二つ)。何故、ツーバスだったかと言うと、見た目が格好良いからという平凡な理由で、ヘヴィメタルが好きとかの理由ではない。

踊れない、という事が致命的だったように思う。

 

2004.9.11         コンビニ店員の憂鬱
コンビニのバイトをやっているとつくづく思う。客の傲慢さ、が身に染みる。長年(恐らく4年はやっていると思う。次のバイトを探す徒労を考えると辞める気もなくなってしまい現在に至る)コンビニ店員を勤めながら、ちっとも慣れないのがソレなのである。というわけでこちらも傲慢に、長年の結論を話そう。

『レジでの応対で、その人(客)の性格が分かると言っても過言ではない』
客側の視点から見れば、店員の愛想の悪さは確かにむかつくだろうが、店員側から見れば客の愛想の悪さも腹が立つものである。いや、愛想が悪い、良いはあまり重要ではない。例えば、お金を渡す時の態度とか。。

以前も書いた気がするが、客も人間、店員も人間(例え客が店員をロボットと思っていたとしても)。愛想の良いお客さんには自然と愛想が良くなるし、お金を放る人や、偉そうな人間には自然と愛想が悪くなるものだ。私は人間が出来ていないのでそういうのが極端と顔に出る。(店の中に平然とペットを持ち込む人や、店の中で煙草を吸う人は論外として、先述したお金を放る人、他にもレジを待っている人がいるのに平然とレジ中に携帯に出る人etc)

でも、もちろん良い人もいる。昨日も、外国人のお客さんがやたらと丁寧な日本語で目を合わせて『ありがとうございます』と言ってきた時は、嬉しくなった。

コンビニという日常生活においてかなりどうでも良いところで、そこで買い物するという、これまた日常生活において印象に残らない場において、人間はふと素の性格を暴露しがちである。

で、その大半は塵のような人間ばかり、というのが私の結論。

 

2004.9.10       僕はプログレが好きです
今日はロックについて語ろうと思う。

私は乗り物が大嫌いだ。自動車も、電車も、バスもジェット・コースターも大嫌いだ。でも唯一例外で、自転車をこよなく愛している。特にウォークマンを聴きながら自転車に乗ること。今日も『何を聞こうかな〜』とBGMを必死に選び、自転車に乗った。(ウォークマンなしで下界に出れない)

直接的に風景が見れて、何だかウォークマンのおかげで喧騒から遮断された感じになる。これがたまらなく好きだったりする。自転車に乗っている時、BGMがストーンズの『夜をぶっ飛ばせ』とかノリノリの曲になったりすると、こちらまでノリノリになって、自転車のスピードも妙に躍動感さえ感じられるほど上がる。ジェネシスの『CINEMA SHOW』とかだったりすると、なんだか自転車に乗っている自分が感動的にさえ写る。そして、ラストのリプライズで悦に浸るのである。私は自分で自転車に乗る自分をドラマティックに写るよう、必死こいてBGMを選ぶのである。フフフン♪と。

しかし、客観的に見れば、私はイヤホンをつけて自転車に乗っている普通の人にしか見えないわけで、なんだかダサい。いや、なんだかどころじゃない、かなりダサい。
しかし、このダサさこそが、ロックなのかもしれないと、今日気付いた。

よくよく考えてみると、『音楽はどういうのがお好き?』という質問に対して、『ロックが好きです』と答えることもダサい気がする。ましてや、『プログレが好きです』なんてもっとダサい。どうしよう。私の人生、ダサいことだらけだ。今から過去に戻れるならば『平井けん、とかバンプ・オブ・チキン』と、答えるような気がする。

さらに、分析してみると、プログレ・ファンは多分に、『プログレが好きです』と答えたとして、先を読んでいるものだ。次の返答は大よそ『プログレって何ですか?』が一般的である。そう答えるのを予想して、きっとプログレ・ファンは長ったらしく説明する事だろう。『プログレってのはね〜、思想がどうちゃらこうちゃら、クラシックとジャズがうんちゃら、進歩的で70年代がどうのこうの』とまるでイエスのように啓蒙するのだ。あー嫌だ。嫌だ。

でも私は、そういうプログレ・ファンがダサくて大好きだ。・・・・・と、最後に言っておかないと、と思う午後の甘いひと時。

 

2004.9.9         サブカル映画糞くらえ
ここにいちいちレンタル映画の感想を書くのもどうかと思うのだけれど、今日一日ははっきり言って映画を見て、本を読んで後は約12時間寝てしまい、(現在10日の午前3時)何もしていない。

昨日借りた『ラヴレター』を見たのだけれど、これが浅田次郎(鉄道員等)原作の『ラヴレター』だと知った。映画自体は韓国映画で、どうやら日本版もあるらしいけれど、こちらは低評価みたいだ。ヤクザもんの純愛映画なのだけれど、主演のチェ・ミンシク演じるカンジェが哀れすぎて、見ていられなかった。で、(私の大好きな)セシリア・チャン演じるパイランがこれまた悲惨で見ていられなかった。結局泣いてしまったのだけれど、これはもう1回観るだけで充分。ヤンキーばかりが登場する中で、セシリア・チャンだけが救いだった。

もう一つの『東京攻略』の方は、これは駄目。日本の俳優も結構出ているんだけど(これがまた微妙)、何よりもセシリア・チャンの出番が少なすぎる!ケリー・チャンと入れ替えろ!
・・・いや、それは抜きにしても、ストーリーも構成も微妙だった。

やっぱり、それを思うと『星願』は良かった。ストーリーもありきたりなのだけれど、ここまで泣ける映画っていうのも貴重だ。突込みどころ満載であったとしても、それを無かったことにできる映画はやっぱり良い映画なんだと思う。

話は変わって、
日本の自殺者の数が主要先進国の中でトップに立ったらしい。 なんか、こういうニュースはどうも他人事に思えなくて気になる。私自身は自殺否定者ではないのだけれど、こういう自殺者の数を順位付けされたのでは、自殺した人も、その家族もたまったもんじゃねーな、と。

 

2004.9.8         レッド・ガーラントのピアノに首ったけ
本屋で村上春樹の新書(アフターダーク)を買い、そのままTSUTAYAに直行、セシリア・チャン出演の映画を2本レンタル。
タイトルは『ラブレター』と『東京攻略』。
はっきり言って、このタイトルを借りるのは、エロビデオを借りるより恥ずかしい。どうしようか、かなり迷った挙句、男の人がレジを打つのを見計らって借りた。(多分この行動が一番恥ずかしいと思われる。ちなみにAVは全く恥ずかしくなかったりする)
そういえば、昨日見た映画なのだけれど(もちろん、レンタル)『ファム・ファタール』が大変面白かった。(ちなみに、セシリア・チャン関連ではないのでご安心を。)エロティック・サスペンス(?)っぽい妙な展開で最後はややうっちゃり気味のどんでん返し。ロック・ファンにとってのファム・ファタールとはもちろん、ニコだったりするんでしょうが、ニコもこんな感じだったのかな?とふと思った次第。

話は変わって最近は、プログレがミョーに疲れる。で、そういう時はカンタベリーだ、と思って聴いていたのだけれど、それでもやたら真剣に聴いてしまって疲れる。で、結局最近はレビューを書く時以外はもっぱらジャズ。で、フリージャズなんか聴くとプログレより疲れてしまったりするので、ここはモダン・ジャズ。

ジャズに関しては初心者同様なので、やたらと新鮮で、あまり盤も持っていないため、言い方は悪いが集めるのが快感になってくる。これは全てに共通すると思うが、あるアーティストにハマり、そのアーティストを調べ、せかせかと集め出す、この辺が多分音楽ファンにとって一番楽しいところだと思う。昔ビートルズにハマッた時、ベストなんて聴いてられっかよ、と思い必死にオリジナル・アルバムを一枚一枚買っていった。こういう時ってやたら楽しいですよね。(同じような文章をストレンジ・デイズで松村雄策さんが書いていました)

ジャズに関してはまさしく私、今がそれ。本当に初心者で恐縮なのだが、ブルーノートの一連の名盤群をずっと聴いている。例えば、ソニー・クラークのクール・ストラッティン、キャノンボール・アダレイのサムシン・エルス、バド・パウエルのシーン・チェンジズ辺り。(他には処女航海、モーニン、ブルートレインとか)
この辺は、初心者にも大変優しく、そして名盤というお墨付き。メロディ部分も覚えるまで聴けば、いつのまにか口ずさんでしまう。アドリブ部分もこの辺は耳に大変馴染み易い。

で、やっぱりジャズの楽しいとこは、スタンダードを演奏するにしても、当たり前なのだが演奏者によって全然違う演奏になる。こういうのを聞き比べするのはワクワクしてしまう。しかし、ジャズは本当に名盤が多い。大雨暴風警報ではなく、最近は散財警報が私に突きつけられている。皆さんもご注意を。

 

2004.9.7          ゴキブリが
今日も地震があった。ナマズならぬ、ゴキブリが地震直後に出現して今も部屋の中を徘徊している。ゴキブリと地震の因果関係はどうなのでしょうか?

星願』を見た。これも純愛映画で、見るのを躊躇したのだけれど、セシリア・チャンが出ているので見ないわけにはいかなかった。
ストーリーはこれまた、ありきたりとしか言いようがないほどありきたりで展開も見え見えなのだけれど、やっぱり泣いてしまった。しかも、久々に号泣した。そして、2回見た。

何やっているんだろ、と思いながらも、セシリア・チャンがかわいくて、しかも泣いている演技を見るとこちらまで泣いてしまった。というわけで、現在セシリア・チャンが出演している映画を片っ端から借りている暇人です。やっぱ、中国(香港やけど)の女の人は綺麗ねー、と思うのでした。

 

2004.9.6           熱血・プロレス論
何を隠そう、私はプロレスが大好きである。いや、すでに過去形だが。久々に大スポ(東京スポーツ)をパラパラと捲っていると、何やら凄いことになっていた。西村修がデビル西村となってムタと共闘していたり、蝶野と安田が組んでいたり、(おまけにライガーも)何だかよくわからない。魔界倶楽部はどこへいったの?私は闘魂三銃士あたりからNWOぐらいまでならかなり詳しかったが、その後、格闘技ブームでプライドやK1がプロレスに参入してきたあたりからつまらなくなり、いつの間にかテレビでも見なくなっていた。

よくプロレスはヤラセだから嫌いだ。それよりプライドやK1のほうがいい、という意見を聞く。はっきり言ってそういう意見を言う人はプロレスをまるで知らない人で語る資格もないと思う。プロレスとは相手の技をわざと受けるところに美学がある。あるインタビューで橋本真也が『プロレスは相手の技を受けて、最後の一撃で相手を倒すという男の美学がある。』と語っていた。よく、『あれは避けれるだろ!』と怒りながらプロレスを見る人がいる。まるで違う。それはそのタイミングで避ければ試合がつまらなくなっていた、とレスラーが予想したからである。技を避けて盛り上ることもある。そう、プロレスは実に難しいのである。プロレスは戦っている人が試合を作る芸術なのである。

しかし、最近のプロレスは他団体化し、試合内容より場外の話題が独占し、やたらつまらない。なんだか、寂しい限りだ。
古館一郎が報道ステーションに合っていないと思う人は、プロレスの実況をする古館の姿を思い出すからだろう。

 

2004.9.5          戦争と平和     
最近は、本当に世界終焉秒読み段階のような気象で、どうなるのやらという感じだ。台風が多発したり、浅間山が噴火したり、今日に限っては近畿、東海地方でかなり大きい地震が2回と・・・。その地震のおかげで酔いまくった。阪神圏では阪神・淡路大震災の後遺症からか、かなり怖かったように思える。そういえば、ここ最近ゴキブリが毎日のように発生していたのはこのせいなのだろうか・・・

話は変わって、民主党の岡田と小沢の対立がかなり激しそうだ。サンプロに出演している岡田代表を見ていてもやたら小沢一郎に気を使っているように見えた。この時期にこういう喧嘩をしかけるとは、さすが政界の壊しやの異名ととる小沢一郎らしい。要は、安保の問題で、小沢は解釈憲法派、岡田は改憲派という考え方の違いで、この政権を取ろうという時期にそういう話を表出させるのはいかがなものかと、鳩山系のグループからも声が挙がっているらしい。

私自身は、憲法解釈で憲法を捻じ曲げて自衛隊を派遣するより、改憲してすんなり出せるようにすればいい、と現実的には思う。
しかし、日本が世界に誇れるところは、そういう平和憲法があるところではなかったのか。安保理に入る、入らないがそんなに重要なのだろうか。大橋巨泉も書いていたが、大概の国の民は戦争なんか望んではいない。こういう平和憲法がある、ということを恥じているのは多分に政界、財界の人間だけだろう。自衛隊を戦地に送らない国、というのは誇れるものだと思っている。それが、今では普通に多国籍軍に参加、さらには軍事開発を普通の企業にも行えるような法案も審議される予定だと聞く。これでは、アメリカじゃないか。
本当に世界終焉って感じだ。

 

2004.9.4         秋はカンタベリー
この3日間、ずっと朝までバイトがあり、正直つらかった。たかが3日なのだが、バイトから帰れば寝て、起きたらすでにバイトに行かなければいけない時間、はっきり言って何もやっていない。おかげで3日間丸まる潰れた気分。長時間労働で自分の時間が潰れ、それに対して給与を得る。私はどちらかと言えば時間の方が好きだ。時は金なり、という言葉がこの3日間は本当に頭の中を巡り巡った。

私は秋という季節が大好きだ。何故か分からないが秋は、時間がゆっくり流れる気がする。実際には時間の流れは同じだし、忙しい人ならそんな時間を感じる暇もないだろう。
私が数少ない日本の好きなところで挙げられるのは、やっぱり情緒深い四季があるところである。やっぱり秋は柿を食べたくなるし、読書をしたくなる。葉の色も確かめたくなる。
そんな季節感も都会暮らしのせいか、かなり薄くなってきている。少し寂しい気もするが、まぁ、そんなものなのかな。

日本の嫌いなところは、とりあえず一生懸命朝から晩まで働き尽くすことを美徳とするところが挙げられる。先述したように、その見返りに給与を得る。で、就職した人が口を揃えて言うことが『とりあえずお金を使う暇がない』という言葉。朝起きて仕事に行き、夜遅くに帰宅、あとは寝るだけ、という生活を皆続けている。『それって楽しいのか?』と聞くと、『楽しいわけないやろ』と怒られる。
『なら、何故働くのか?』と聞くとやっぱり『自立するため、将来のため』という言葉が(怒りながら)返ってくる。なるほど。もっともである。私はいつも大方答えを知っていながらわざと聞く。そして、自分もそういった生活にいつかは身を置くのだろう、と覚悟するのである。
私はいつまで秋を『秋』だと感じて生活を送れるのだろうか。それは今年が最後かもしれない、と思うとますます今年の今から始まる秋がいとおしくなる。

 

2004.9.3        秋らしい幕開け
9月になると同時に肌寒い日が続いている。昼間は相変わらず、30度前後なのだが、夜になるともうすでにいたるところで秋の気配を感じる。

自分の周りには、いつ切れてもおかしくない友人数人と、あまり頻繁に連絡を取らない家族がいる。そんな中で、やはり別れる人もいるわけで、つい最近もそういった体験をした。
ふと思ったことなのだが、別れる時の思いが、その人と関った思い出の良し悪しを決めてしまうように思う。特に今回は、我ながら悲惨と言ってもいいほどの別れ方をして、それまでの思い出が自分の頭の中で、肯定しにくい思い出として改竄されようとしている事に気付く。なんて自分勝手なんだろう、と思う。しかし、大概はそんなもので今更過去のことをグダグダ言うのも馬鹿馬鹿しい。

恐らく、その人に私との思い出があったとして、それは多分散々なものでしかなかったろうに思うし、どちらかと言えばそう思っていてほしい。
人と別れるということは、(再会する可能性をゼロとして)自分にとって別れた人はもういない、ということである。つまり言い方は悪いが、自分の中で死んだことになる。死んだ人は記憶の中で生きるものである。その記憶が散々なものに改竄されたとするならば、かなり悲惨だ。

週刊現代に連載している五木寛之の新・風に吹かれてという書き物がある。そこに、様々な国の哀愁、鬱っぽい感情を表現する言葉が紹介されていた。よく覚えていないが、ブラジル(ポルトガル語圏)では、『サウダージ』と言うらしい。
やっぱり、気分も秋、自己嫌悪とともにその人の思い出を殺そうとする自分がいる。BGMは、マイルスの『SKETCHES Of SPAIN』。嗚呼。惨めなサウダージ。

 

200492        夢二さん
昨日の続き-二日連続夜通し遊ぶというのは、やはりこの歳(22歳ですけど)になってくるとつらいものがある。(もちろん、楽しかったけど)
しかし、私の場合こういう人との関わりが通常の人より少ない気がするので、こういう機会は有難い。(引篭もりではないです。)

話は変わって、最近少し気になる人がいる。
竹久夢二
詩人、画家、音楽家。
うーん、大正浪漫。伊香保にも是非行きたい。
壊れた水車小屋の絵を見て貰えば分かるように、なんとも言えない懐かしさと悲しさが同居していて胸が痛くなる。

 

20049.1        鈍行           
昨日の続き-友達が家にそのまま来ていたので、朝方眠りに付く。
夜、再び友達と遊ぶ約束になっていたのだが、時間を勘違いし、特急がなく普通で京都へ。(勿論遅刻です。ごめんなさい。)
普段は特急を使うのだけれど、久々に鈍行に乗り、普段目にしない風景がやたら新鮮だった。今の世の中、早さと便利という言葉が先行しているが、こういう鈍行もたまには悪くないと思った。(でも遅刻です、ごめんなさい)

 

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