UNO

オザンナは1974年「LANDSCAPE OF LIFE」を発表後、解散する(後に再結成)。
ダニロ・ルスティーチとエリオ・ダンナは、よりインターナショナルなサウンドを求め、
UNO結成へと動く。
当初はトニー・エスポジートがドラマーとして加入したが別のレコーディングのためロンドンへ行き、降りた模様。よって、エンゾ・ヴァリチェリがドラマーとして加入。

彼等はロンドンにてレコーディングを行う。彼等の唯一のアルバム「UNO」(1974)は2種類存在していて、全曲英語で歌われた英ヴァージョンがドイツとフランスでリリースされたものがあり、これはジャケットをヒプノシスが担当している(キャラヴァンのカニング・スタンツみたいなジャケ)
ここで紹介するもう一つの盤は英語とイタリア語が混在しているものである。

この後、イタリアに戻りライブ活動を行う。チェルヴェロのリーダーだったコッラード・ルスティーチが新たに加入。
UNONOVAへと変化していく。

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オザンナに英スパイスを塗して、土着的なものを取り払った感じでしょうか。
かと言って、イタリアらしさはなんだかんだ言って顕在なところに好感が持てます。多分オザンナが苦手だと言う人にも受け入れられるんじゃないかと思います。アルバム一枚しかないので是非。
2004年10月28日に、ストレンジ・デイズ紙ジャケ・シリーズ第1回分としてこれが含まれていました。多少値段は張りますが出来は素晴らしいです(ヒプノシスのジャケの方も復刻して貰いたい!)。輸入盤も普通に買えます。

 

UNO

DANILO RUSTICI -voce,chitarre elettrico,acustica,bass pedals,strings pedals,moog,piano
ELIO
 D'ANNA -sassofoni tenore,baritono,alto,soprano,flauto,strings pedals
ENZO
 VALLICELLI -batteria,campane,carillon
1974年発表の唯一のアルバム(2種類のヴァージョンが存在するが。)
オザンナのパレポリ→ランドスケイプ・オブ・ライフの変遷を考えると、世界への挑戦はやはり必然的であったのだろう、英語詩(4曲)を交えたインターナショナルな響きを求めた作品である。
英詩はニック・セジヴィックによるもので、彼はフロイドとも仕事上の繋がりがあり、彼を通じてライザ・ストライクが招かれている。彼女は「狂気」でスキャットを聞かせてくれた人で、このアルバムにはM7でその歌声を聞かせてくれる。
サウンドはオザンナのパレポリに顕著な土着性を排除し、ブリティッシュ・プログレに近づいた格好となっているが、彼等の望む方向とは違ったのか、やはりイタリアらしさは残っていて、リスナーの視点から見れば見事な混血作品になっているのが嬉しいところ(もちろん成功はしなかった・・・)。
M1,RIGHT PLACE  (ライト・プレイス)
M2,POPULAR
 GIRL  (ポピュラー・ガール) アップ・テンポなブルーズ・ロック。アルバムの雰囲気から外れている気がするのだけれど、どうでしょう。この曲もそれなりに良いのだけれど飛ばしてしまう事が多いです。
M3,I
 CANI E LA VOLPE  (犬と狐)
M4,STAY
 WITH ME  (ステイ・ウィズ・ミー)
M5,UOMO
 COME GLI ALTRI  (ありきたりの男)
M6,UNO
 NEL TUTTO  (大勢の中の一人)
M7,GOODBYE
 FRIEND  (グッバイ・フレンド) フロイドの「狂気」に参加したライザ・ストライクのスキャットが聴ける。
ライト・プレイスの出だしのフルートの響きがやっぱりオザンナの余波が感じられ安堵状態に。英語で歌われようとあまり関係ない彼等の音色の「濃さ」には、やはりイタリアらしさを感じずにはいられない。リスナーがそう感じてしまうって事は彼等の目論見は見事に失敗と言わざる得ない。
エリオ・ダンナの吹き荒ぶサックスもオザンナそのものだし、叙情的なフレーズ、バラード曲をやらせれば彼等に敵うものはいまい、と思わせるような凄さだ。感情を鷲掴みしてシェイクしまくるこの音はやはり我々の愛するイタ・プロの音。というわけで初めて聴いた時は安心した次第。別にイギリスの音なんていらねーよ。

 

 

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