J.A.シーザー

(国境巡礼歌のブックレットにおけるバイオグラフィが非常に面白いので、引用させて貰います。不都合がございましたら、お知らせください。)
1948年、南国宮崎で生まれる。天秤座の星。
1952年、5才。生まれてはじめて月蝕を見る。海鳴りを作曲した神に嫉妬する。
1962年、放浪の旅に出る。袋の中に2、3の詩篇、「般若心経」1巻。
1963年、心中未遂。溺れ流されていった女の黒髪が忘れられなかった。
1969年、天井桟敷を訪れる。「時代はサーカスの象にのって」。その中で打楽器を叩く。日本一の長髪が話題になる。
1970年、「書を捨てよ町へ出よう」で、「フーテン追分」「マイ・フレンド・フリーダム・フォエバー」をはじめて作曲して唄う。愛猫が殺される。
第一次「シーザーと悪魔の家」を結成、「首吊りの木」「すべての人が死んでゆくときに」のレコードを出す。
天井桟敷 訪問劇「イエス」
野外音楽劇「ブラブラ男爵」「東京零年」市街劇「人力飛行機ソロモン」などの作曲・演奏を担当する。
1971年、映画「書を捨てよ町へ出よう」の音楽を担当(毎日映画賞音楽部門受賞候補となる)。(サンレモ国際映画祭グランプリ受賞)
ヨーロッパ遠征 ナンシー演劇祭にて「邪宗門」の作曲・演奏を担当。オランダ・フェスティバル・ロッテルダム市立劇場にて「シーザー・リサイタル」(第2次シーザーと悪魔の家)
ソンズビーク71「市街劇人力飛行機ソロモン」にて、作曲・演奏および主演。
ベオグラード国際演劇祭「邪宗門」にて作曲・演奏(同作品はグランプリを受賞)
パリ・レアール「毛皮のマリー」にて作曲・演奏を担当。
1972年、渋谷公会堂にて「邪宗門」を公演。その音楽は実況録音盤としてビクターよりLP盤レコード化。
音楽劇「青少年のための無人島入門」を上演、作曲・演奏を担当。
ミュンヘン・オリンピック組織委の招待で芸術行事、野外音楽劇「走れメロス」。その作曲と演奏。
フタンクフルトTATにて「邪宗門」
デンマーク・ホルトブローにて「邪宗門」
ベルリン・フォーラムシアターにて「邪宗門」の作曲・演奏。
アムステルダム・ミクリシアターにて密室音楽劇「阿片戦争」の作曲・演奏・台本・共同演出を担当。
1973年、日本青年館ホールにて「J.A.シーザー・リサイタル」
現在は第3次「シーザーと悪魔の家」を主宰。メンバーは常時シーザー(ギター、ドラム、エレクトーン、和楽器ー琴、三味線、琵琶ーピアノ)、森岳史(リード・ギター)の2名と天井桟敷のメンバー数名(曲によって人数が変わる)によって成り立っており、ゲストに鈴木茂行(ドラム)が加わることがある。
作曲作品は他に「狂女」(伊東きよ子)、「薔薇門=性解放レコード」(ゲイボーイ数名)、NHK「かぐや姫」などもある。
(以上全文引用)

周知の通り、J.A.シーザーの音楽は、寺山修司の率いる「天井桟敷」とともにあったと言える。
尚、1973年のソロ・リサイタルが「国境巡礼歌」として発表。
その後、寺山修司の映画音楽担当を中心として活動して行く。(田園に死す、阿呆船、身毒丸、さらば箱舟、狼少年、他)

寺山修司の死後、彼はその意思を引き継ぎ劇団「万有引力」を率いることになる。(現在も活動中)
また、「少女革命ウテネ」というアニメ音楽も担当している。

劇団「万有引力」 (http://www.banyu-inryoku.net/

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J.A.シーザーの音楽は劇団とともにあるため、私を含め一般のリスナーにはほとんど謎の部類に入ります。事実、彼の作品で形として残っているものの大部分は入手困難です。
私のようなプログレから入る人や、劇団音楽から入る人、様々でしょうが、彼の音楽の認知度を上げ、復刻して貰いたいというのが私達の願いでしょうか。勿論、あまり彼の作品を聞いていない私が言うのはおこがましいのですが・・・。
彼の音楽は『御詠歌ロック』(または呪術ロック)と呼ばれ、日本風土、情念を多分に含んだものであり、そんじょそこらの演歌よりも演歌だと言えるし、ロックよりもロックです。実に個性的な音楽性があります。書籍で『J.A.シーザーの世界』が発表されているので、より詳しく知りたい方はお買い求め下さい。CDもついています。

全作品リマスター復刻希望。そして、万有引力を連れ大阪に来て下さい。

 

国境巡礼歌

J.A.シーザー -エレクトーン、ギター、琴、和太鼓
河田悠三 -ベース・ギター
稲葉憲仁 -ティンパニー
藤原薫 -手製楽器
鈴木茂行 -ドラムス
森崎偏陸 -笛
林恭三 -コンガ
森岳史 -リード・ギター
佐々田秀司 -コンガ
磯貝重夫 -ドラ
山城邦夫 -竹
1973年発表。1973年2月3日、日本青年館ホールにてのソロ・リサイタル、実況録音盤。これまでは、劇団のための音楽であったが、これはJ.A.シーザーが中心となった唯一のオリジナルである。
構成、演出は寺山修司。演奏メンバーは当時のシーザーのバンド、悪魔の家。ヴォーカル、合唱を担当しているのは、天井桟敷の役者である。CDでは勿論分からないが、この他にも舞踏などで、劇団の役者が出演している。(ジャケット・アートは及川正通)
肝心の演奏内容と言えば、J.A.シーザーの音楽を聴いたことのある方は分かると思うが、初期の集大成である。御詠歌ロックと謳われた彼等独自の呪術的で重く、血生臭く、詩はひたすら生々しく、日本的風土、情念(または怨念)が、ミニマル的用法、ロックのダイナミズムによって演奏され、まるで聴き手を脅迫するかのように、未だ見たことのない土俗的無意識にアクセスするような異地へ運んでくれる。
M1,越後つついし親不知, シーザーが10代の頃に作曲した曲らしい。ハード・ロックと言ってもいい内容で彼のルーツが窺い知れる。しかし、単なるハード・ロックではもちろんなく詩(シーザーが作詞)だけでも異様なムードが漂う。シーザーがヴォーカルを取っている。
M2,転生譚, 
これこそ、彼の音楽の真骨頂だろう。実にスローで重い日本的風土を表したインストに女性のお経のような詩の朗読が乗る。バックの合唱も音楽に昇華されている。森岳史のギター・ソロが秀逸だ。
M3,母恋しやサンゴ礁, 
邪宗門の時の曲で、森岳史のギターがリードする。ハード・ロック的なリフに、日本的歌唱(どういう言い方が良いのか分からないので)が実に合っているのだ。ある意味、マジックでしょう、これ。
M4,狂女節, 
演劇ロックという言葉がよく合う。奇声が掛け声のように飛び交い、
M5,英明詩篇, 
これも演劇ロック。オルガンの音色が不気味に地獄を歩いている時の感覚と言えばいいのだろうか、そこに男性の奇声朗読、女性のコーラスが乗る。C.A QUINTETっぽい。
M6,和讃, 
日本独特のリズムにオルガンがスローに乗る。女性ヴォーカル、合唱が重なっていき渾然一体となっていく。後半に向けてのテンションの高鳴りは鳥肌ものだ。
M7,人力飛行機の為の演説草案, 
寺山修司作詞、女性によって英語で朗読される。そこに男性朗読(寺山修司本人?)が乗る。静かなコーラスがフェイド・インしてくる。『俺自身を発見する』という言葉の連呼があるが、これはこのアルバムのテーマともなり得るのかもしれない。
M8,民間医療術, 
不気味なインプロ風味の演奏が続く。パーカッション類がアクセントに、女性ヴォーカルが静かに、印象的に乗る。一歩間違えれば幽霊登場シーンのようなB級音楽に堕落してしまいそうだが、この曖昧さ、ギリギリさがなんとも言えない。想起されるイメージは自然だろうか。10数分の大曲。
M9,大鳥の来る日, 
ほとんど前曲と繋がるように静かなイメージとともに始まる。M6和讃のような盛り上るを見せる曲で、全員合唱の極み。オルガンと自然音(?)が合さり独特の神秘主義が垣間見れるだろう。究極のクライマックス!世界最後の日。
日本のロックというのはこういうのを言うのだ。彼等の繰り返す反復は決して欧米のそれではなく、土俗的情念のイメージの喚起である。土地の息吹である。決して演奏もテクニカルではないし、知的でもない。言うまでもないが、シンプルに研ぎ落とされたファッション性もない。ここにあるのは、情念を巡る旅である。自己発見の旅である。それは虚構かも知れないが、妙に生々しい感情絵巻となって聴き手を刺激する。具体的なサウンド的類似で挙げられるのは、ブラック・サバスやユーライア・ヒープ、アモン・デュール等なのかもしれないが、全く別の視点でハード・ロックを構築していて、さらにはジャンルを超越し、独創的な邦楽となっている。幾度ともなく、このアルバムにはクライマックス(または世界最後の日と言えばいいのだろうか)が訪れる。緊張感に満ちた日本音楽の遺産。必聴!

 

田園に死す

寺山修司 -制作・原作・台本・演出
音楽 -J.A.シーザー
録音 -木村勝英
指揮 -森崎偏陸
演奏 -シーザーとジェフ一毛、犬神サーカスバンド
ヴォーカル -新高恵子、蘭妖子、新井沙知、サルバドール・タリ、中沢清、佐々木英明、佐々田季司、J.A.シーザー、三上寛
朗読
詩朗読 -八千草薫
短歌朗読 -寺山修司
ジャケット・デザイン
A・D -羽良多平吉
挿画 -花輪和一
デザイン -幸山義昭
制作協力 -日音
映画「田園に死す」
出演 -八千草薫、春川ますみ、新高恵子、原田芳雄、木村功、管貫太郎、蘭妖子、天井桟敷
映画『田園に死す』のサウンド・トラック。
映画を見たことのない人にも全然楽しめると思うが、是非とも映画も是非観られたし。この映画は、寺山修司の自叙伝的な作りで、周知の通り寺山修司の故郷、東北の風景が舞台となり現代からの歪んだ回顧録のようになっている。
さて、肝心の音楽の方だが、こういうサウンド・トラックを手にとるのは正直言って勇気が入ることだ(私だけかも知れないが)。何故ならば、サウンド・トラックは物語を支えるための屋台骨であり、黒子だからである。しかし、寺山修司と二人三脚であったJ.A.シーザーの音楽は、勿論、単なるサウンド・トラックに成り果ててはいない。この映画にとって音楽は非常に重要なものである。
『国境巡礼歌』のレビューと重複して恐縮なのだが、J.A.シーザーの音楽は御詠歌ロックと呼ばれるものであり、その
御詠歌の意味の通り、作られたものでなく、情念の回顧であり、巡礼である。ここでは、寺山修司の情念巡りであり、この音楽はそれに寄り添った究極のサウンド・トラックと言える。尚、クレジットにもある通り、この映画に三上寛が1曲(カラス)参加していてある種異様な空気を持ち込んでいる。(勿論、映画にもこの曲のシーンだけ出演)
M1,こどもぼさつ, 強烈なこどもによる合唱。頭から離れなくて時々口ずさんでしまいます。映画でもこの曲が登場するシーンは鳥肌ものである。
M2,謎が笛吹く影絵が踊る, 
天井桟敷による合唱。笛がメロディをなぞる。
M3,化鳥の詩, 
八千草薫による詩の朗読。バックでは笛の音色が叙情的に響く。詩の怖さ極まり。死んだ母さんの真っ赤な櫛・・・。キング・クリムゾンの風に語りてのような演奏とは対照的な詩朗読がひらすら怖い。
M4,地獄篇, 
新高恵子によるヴォーカル。まさしく、地獄のイメージを喚起させられるようなコーラスからスタート。アモン・デュールっぽいギターの歪んだ響き。地獄の恍惚。
M5,母恋餓鬼, 
ロックと言うより、演歌、歌謡曲に近い哀愁、質感を持っている。
M6,桜暗黒方戈記, 
母に対する愛憎劇。合唱による『死んでください、お母さん』という高鳴りは身震いする。映画の『しんちゃーん』という声がなり、白熱の演奏へ。
M7,惜春鳥, 
蘭妖子によるヴォーカル。かなり演歌と言っていい歌い出しから、コーラスへ変化。
M8,短歌, 
寺山修司による朗読。バックはピアノとアコースティック・ギターによる静かな調べ。
M9,空気女の唄, 
荒井沙知によるヴォーカル。実は映画でもそうなのだが、この詩の意味に混乱してしまう。かなりコミカル。
M10,カラス, 
三上寛による「カラス」弾き語り。彼のアルバムに収録されている曲とはヴァージョン違いで貴重。
M11,和讃, 
「邪宗門」「国境巡礼歌」に収録されていた彼の代表曲。ここではヴァージョン違い。より混沌としている。
M12,せきれい心中, 
新高恵子によるヴォーカル。幻想的で神秘的な彼女の声の響きが心地良い。音数は極めて少ないのに無数の槍となって襲ってくるよう。
M13,人々はどこへ, 
映画本編ではエンディング。その後も演劇のエンディングとして使用されていたらしい。コーラスの反復と、彼の音楽でよく用いられるクライマックスへの高鳴りは感動的である。
映画『田園に死す』を友達から借りて観た時、びっくりした。(ちなみに私は寺山修司にあまり詳しくなく、初めて観た映画がこれだった。)出演者のセリフ(言葉)が音楽であり、J.A.シーザーの音楽がセリフ(言葉)であったからだ。
サウンド・トラックのせいか、最初に聴くにはどうもあまりお薦めできない(私はこれから聴いてしまったが。出切ることなら国境巡礼歌が望ましい)。また内容も、どんよりと暗く、長年の恨みのようなものが込められている、そしてそんな思いが胸を閉め付けてくる。
映画でもそうなのだが、こどもぼさつの最初の音が鳴った瞬間がリトマス紙で、受け付けるか、受け付けないかが決まるだろう。

 

 

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