BRIGITTE FONTAINE

フランスにもとんでもない冷気を備えたアーティストがいる。(プログレを除く)
ブルターニュ地方のモレルで生まれ、女優を志し、パリ、ソルボンヌ大学に入学。
いつの間にか、ブリジットは歌うようになる。
シャンソン、前衛ジャズ、民族音楽、ポップ・ミュージックが融合し、夫のアレスキーとともに様々な作品を残す。
特に初期の作品においては、これ以上ないほどに鋭利で、言葉においても凄まじいものがある。


 

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BRIGITTE FONTAINE

OLIVIER BLOCH-LAINÉ       JULIE DASSIN
ARESKI          JEAN-CHARLES CAPON
GEORGES ARVANITAS      LOUIS GUILBERT
BENOÎ
T CHARVET       JACQUES HIGELIN
        PHILIPPE MATÉ         BRIGITTE FONTAINE      

1972年発表。3rdアルバム。サラヴァ・レーベルは、商業主義とは正反対のところに位置する
レーベルであったにも関らず、前作「ラジオのように・・・」が全世界でヒットを示す。
この事が、ブリジット・フォンテーヌに並々ならぬ不安とプレッシャーを与えたようだが、ポップ・スターの
イコンをこのアルバムでは見事なまでに切り伏せた。
最初聴いた時の感想は、「恐い」の一言。前作『ラジオのように・・・』も前衛でありながら、ポップでもあり
多分に一般受けするのだろうが、今作は狂気にも似た念が篭もっている。(ニコで言うなら『THE END』かな)
フランス語の不思議な童謡的な響きが、ブリジットの冷たい歌と合わさって、前作で『世界は寒い』とあったが
さらに氷点下まで温度を下げるようなものを感じる。人間が生きれるギリギリの温度、ギリギリの視界で
この音は鳴っている。誰も気付かない彼女だけの苦痛。

M1、BIGITTEでまるで他人がブリジットの内面を探るような形で始まる。アコースティックなシンプルな曲だ。
M2,冒頭部としてPOUR LE PATRON、いきなり気が狂ったかのように絶叫。MOI AUSSIは、アレスキーとの
デュオ曲。民族系パーカッションと二人の歌(?)のみの構成。
M3、(家族幻想とも言える)FAMILLEを冒頭に
L'AUBERGEへ。ブリジットのどこまでも遠くに投げかけるような声(悲壮、絶望的)がひたすら悲しい。光の差し込まない教会で
一人歌いつづけるブリジット・フォンテーヌという姿を想像してしまう。遠くに響くような声なのに、ひたすら内省的だ。
M4,PREMIER JUILLETは、フォンテーヌの詩の朗読。M5,LE DRAGONも、民族パーカッションを軸とし、ブリジットが歌う黄金パターン。
ラジオのようにでも見られた構成。
M6、VINGT SECONDESを挟みM7,EROSへ。アシッド・テイスト溢れるギターがなんとも印象的だ。(ジャック・イジュラン;ギター)
M8、UNE MINUTE CINQUANTE-CINQは、呪文のようなコーラスとともに、ブリジットが泣く。なんとも奇妙な曲だ。
M9,OÛ VAS-TU PETIT GARCONは、永遠とループするかのような演奏と、ブリジットが現実から逃避したいという
願望を歌うのだが、この歌がまたなんとも無気力に満ちていて、それがなんとも言えない絶望感、虚無感を醸し出している。
M10,MARCELLE、多重録音されたような何処か教会の地下室で鳴り響くコーラスと、『帝国主義!粉砕!』と思想を
歌い、絶叫で終わる。本来収録されているMERRY GO ROUNDがフォンテーヌの意思でカットされ、代わりに
M11、L'ÉTERNEL RETOURが収録されている。

このアルバムは、内省性もさることながら、外に向けたメッセージ、自己を見つめた作品である。
とてつもなく、痛々しく自虐的になったりと鋭利なナイフのようなもので、中途半端に聴くと傷だらけになる危険性も
孕んでいる。ほんの少し見せる優しい歌が希望だ。
ラジオのように、、、とセットで本作も。


 

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